今朝の朝日新聞社会面。
《新天守2022年完成 黄信号》
名古屋城の天守閣石垣を軽く考えていた河村市長は、石垣部会の専門家から「待った」をかけられた。
「部会との齟齬なんて全然あらせん」
と部会後の記者会見でうそぶいているそうだが、この人、万事が軽率で、なんでも市長の一声で動かそうとするから、全部、動かない。
天守閣エレベーター問題にしてもそうだ。相変わらず河村市長と障害者団体の不毛な議論が続いている。そもそもである。その議論に臨んでいる障害者の中に、ほとんど寝たきり状態の方もいる。この人も天守閣に登って名古屋の街を見下ろしたいのだろう。その欲求は理解できる。ただワシャは「歴史的再建」を支持するものであり、健常者のワシャがエレベーターを否定してもなんの説得力もないので、高齢で足の悪い父親に代弁してもらうなら、多少聞いてもらえるだろうか。
「天正時代に建った天守閣の再現ならば、それにエレベーターはないだろう。歴史というのは自分だけのものではない。後世に続く長い世代とも共有するものだ。正確なものを残しておくことが現在に生きる人間の使命ではないのか。エレベーターがないから登れないよというのなら、オレは行かなくていい」
そういう障害者・高齢者もいるのである。
これは提案だが、名古屋圏には、11の大学にアメリカンフットボール部がある。その子たちの協力を願おうではないか。別にアメフトだけでなくてもいい。ラグビー部もサッカー部も柔道部も相撲部も、とにかくガタイのいい大学生にボランティアで、あるいは日当を出してもいいけれど、当番で、天守閣下に、詰めてもらう。そして障害者の方が天守閣に登りたいと申し出があったら、彼ら(彼女でもいいが)が、背負って天守閣を登る。どうです。安上がりであり、若者の奉仕の精神の涵養にもつながる。障害者は天守閣からの風景を楽しめ、若者とのコミュニケーションもできる。その上、天守閣は歴史的に正確なものになり、後世に歴史のバトンを渡していける。エレベーターの設置費用、南億円かが節約できる。いいことだらけではありませんか。
どちらにしても、これだけ各所から火の手が上がっているのだ。2022年などと起源は区切らず、もう少し腰をすえて議論をしたほうがいい。河村市長の公約とか、そんなものはまったく関係ない。じっくりと議論して、名古屋市民がなっとくしたものを再建すればいい。
石垣部会は言う。「名古屋城の本質的な価値は石垣だ」と。そのとおりだ。木造天守はアメリカ軍の空襲で焼失してない。この石垣こそが天正の遺物なのである。これを毀損してまで目立つ天守を新築し、己の手柄にしようなどというゲスな政治屋はいないと思いたい。