上天気に誘われて、友だちと設楽ヶ原(したらがはら)に行ってきた。五月晴れの東三河をトロトロと飯田線に揺られていくのは風情があっていい。
どうもワシャはこの時期になると「長篠合戦」を思い出すようですな。昨年の5月21日の日記
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20120514/1336948613
にも「長篠合戦」のことを書いている。
それに、3月末にも長篠に行こうと思って車を走らせたが、渋滞に巻き込まれ松平郷に行き先を変更したこともあって、今回は電車を使って東三を訪うことにした。
東海道本線で豊橋まで行く。そこで飯田線に乗り換えるのだが、この乗り換え時間がわずか3分程しかない。これに乗り遅れた。飯田線は1時間に1本しかない。それならそれで楽しみ方は幾通りもある。
「吉田城を観に行こう」
ということになった。
安藤広重の「東海道五十三次」の「吉田」である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Tokaido34_Yoshida.jpg
この絵は「保永堂版」で吉田城から豊川に掛かる吉田大橋を望む。ワシャは東海銀行版の「東海道五十三次」の版画集を持っている。その解説にこうある。
《北斎を想わせる構図である。雲おさまって遠い山塊は霊地鳳来寺山でもあろうか、仏法僧のうつろ鳴きする麓には、つわものの骨をさらした長篠がある。》
ない。橋のむこうに小さく見える山塊は、おそらく額田の山影であろう。城から見て、吉田大橋は北西にある。解説者の言う鳳来寺山は北東に位置しており、そもそも画面の中に入ってこない。現地を確認していないいい加減な解説と言っていい。
広重の「東海道五十三次」は三種ある。前述の「保永堂版」に加え、「行書版」、「隷書版」が発行されている。その「行書版」が、吉田橋から吉田城を観望する逆の構図なのだ。
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/ukiyoe_artist_detail.php?id=Uc0035
昨日も吉田大橋から城を眺めたが、160年前のまさに「行書版」そのままの景色が残っているのがうれしい。
おっと、江戸の風景に想いを馳せていたら、1時間はあっという間に過ぎてしまった。急ぎ豊橋駅にもどって、2両編成の飯田線に乗り込んだ。
春うららかな日の各駅停車の旅はのんびりしていていいものですなぁ。
電車はトコトコと少しばかり走ると次の駅に到着する。飯田線は単線だ。だから上りで電車とすれ違う時には7分も待たされてしまう。上下線ともに1時間に1本なのに、そんなことが途中の駅で起きた。でも、窓から見える新緑や、野辺に咲くレンゲソウ、その向こうに見える作手高原を支える山系を眺めていると、ちっとも時間が気にならない。こういったゆったりとした時間に身を委ねるのも命の洗濯になるんだということを改めて感じるひと時となった。
さて、目的地は三河東郷駅。豊橋からは45分程で、長篠城の3つ手前の駅である。大方の乗客は、長篠城で行われている「長篠祭り」を目指しているのだろう。無人駅の駅頭に立ったのは、ワシャらばかりであった。
ワシャは、地域おこしと称する現在のイベントは好かない。そこには歴史的な根拠は薄弱である。象徴的に火縄銃の射撃とか太鼓の連打が行われるが、それは現実の長篠合戦とはまったくつながるものではなく、かえって歴史の真景を見えにくくしてしまう弊害がある。だから、長篠城まで行かずに、手前の三河東郷で下車した。
その三河東郷駅である。短く細いプラットホームが心細い。でもね、2坪ばかりの駅舎といい、その背後の集落の風景といい、昭和の香りがプンプンとするんですな。なんだか寅さんになったような錯覚にとらわれましたぞ。
もちろん山間の小さな駅周辺に食事のできるところなどあろうはずもなく、豊橋駅で買ってきたオニギリでエネルギーを補給して、小さな駅舎をあとにした。目指すは駅の西にある設楽ヶ原である。(つづく)