拍手と上様

 藤沢周平の短編に「必死剣鳥刺し」がある。この作品、豊川悦司主演で映画化にもなっている。小説はいい。さすが藤沢である。映画のほうもいくつかの点を除けば、まぁ及第点といったところだろう。
 物語はこうだ。
 奥州海坂藩、物頭を勤める兼見三左衛門は城中で藩主の側妾を刺し殺す。これは側妾が御寵愛をいいことに藩政に口を出すようになり、失政がいくつも目立ってきたためである。倹約令を打ち出した勘定奉行が、側妾の命により切腹させられるという事件があった。側妾が藩主を煽って、一揆の首謀者を斬首したことも引き金となっている。
 通常、城中で刃傷に及び、それも藩主の側室を殺めるなど、どれほどの理由があるにしろ、即刻打ち首になっても文句は言えない。それが中老の津田民部の工作により、閉門、減俸、役の召し上げのみで済んだ。
 時が過ぎ、三左衛門の閉門はとけた。役職にも復帰するのだが、物頭より出世し、近習頭取という藩主の側近中の側近となる。これには津田民部の思惑があって、藩主は愛妾を殺されたことを恨んでいる。しかし、一族から失政を責められ、追い落とされるやもしれぬ身の上。藩内でも第一の使い手である三左衛門を警護として付けざるをえない。これも津田民部のはからいであった。この手配りが功を奏す。御別家の達人が藩主暗殺に乗り込んできたのだった。自らも手負いながら三左衛門は勝ちを拾うのだった。
 さて、ここからが大団円。この後に「必殺剣鳥刺し」が飛び出るのだが、ネタバレになるので止めておきます。なにしろ小説のほうは面白いのでご一読をお薦めします。

 一方、映画の方である。こちらも原作をきっちりとなぞっているので、物語自体に破綻はない。ただ2点、観ていて気になったところがあった。側妾刺殺直前の能の舞台である。舞台が終わり、そこで拍手が起きた。満場の拍手である。これはない。
 そもそも本には、能、狂言、歌舞伎に限らずその他でも拍手を送って健闘をたたえるという文化がなかった。歌舞伎であれば「うなり」だったり「掛け声」で役者の仕事を褒めるのである。
 つまり、映画「必死剣鳥刺し」の冒頭の能舞台はウソなのである。拍手で盛り上がってはいけない。
 もう一つ、海坂藩の藩士たちが、藩主の右京太夫に対して「上様」「上様」と呼びかけている。これも間違いだ。そもそも、「上様」とは室町時代の初めに天皇の敬称として登場した。その後、皇族に対しても使われるようになる。室町後半以降、将軍の尊称として定着したわけだ。つまり、江戸期に「上様」といえば徳川将軍のことを指している。たかだか東北の15万石ばかりの譜代藩主が、国もととは言え「上様」などと呼ばせてよかろうはずがない。ここは「殿」である。
 この2点をきっちりと考証しておけば、いい作品に落ち着いたと思う。残念だ。

 でもね、途中で切腹させられる勘定方の奉行の役を落語家の瀧川鯉昇がやっていた。ううむ、なかなかの役者っぷりでしたぞ。この人、こっちのほうでもいい仕事をするかもしれない。これは楽しみ。