今頃、『JIN』を読んでまして(笑)

 連休の初日に、村上もとか『JIN』(集英社)全20巻を入手した。もちろんドラマも何作かは見た。でも、宴会後の酔っぱらった状態で見ていたので、はっきりと覚えていない。見たような見なかったような。それでも最終回は感動した記憶がある。
130年前の咲と、現代にもどってしまった仁とが、巻手紙でつながるところは泣いてしまいましたぞ。
 そんなことを踏まえて『JIN』を読んだわけなのだが……ううむ、絶対にコミックのほうがいい。さすが、村上もとか
 さて、主人公の仁は現代の外科医師である。それが幕末の江戸にタイムスリップしてしまう。そこで、いろいろな人物と織りなす人間ドラマが『JIN』である。ドラマは独立したエピソードをつなぎ合わせながら、大きな流れを作っていく。さすが名手村上、それぞれのエピソードを繊細に紡いでいくのが上手い。
 10巻に歌舞伎の話が出てくる。鉛毒に冒された坂東吉十郎という役者をどう生かし、最期の舞台を勤めさせるか、これが仁に与えられたミッションだった。この過程で名女形の三代目澤村田之助が出てくる。この人、実在の人物で、これがまた凄まじい生き様を見せた人だった。鉛毒による脱疽で四肢を切断しながらも、舞台に立ち続けたという名優である。その田之助がこう言う。
「役者はね、芸に生きて芸に死にゃあいいのさ!幕が降りるその時まで立っていられりゃあいい!いや…たとえ立っていられなくとも…客の前で血ヘドを吐いても演じ通す、凝った趣向だ、かぶいた芝居だと、思わせられれば、わたしらの勝ちさ」
 田之助、吉十郎の部屋の戸をガラッと開けて、
「ねえ、そうだろう吉十郎兄サン!」
 これを受けて吉十郎、寝所に正座をして座頭や役者たちに頭を下げる。
「座頭、わたしも命が尽きるまで、役者でいたい…最後まで演じてみせます!何卒この坂東吉十郎を初日の舞台に立たせておくんなさい」
 実際の田之助の鬼気迫る役者としての生き様、死に様を知っているだけに、このシーンは泣けましたぞ。
 結果、吉十郎は、仁の手厚い医療のおかげで、命は削るけれども、大舞台を見事に勤め上げ、そして満足を得て死んでいった。
 4月9日の日記に書いた二代目猿之助の話。
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20130409
 二代目が日野原医師の支援を受けて最期の舞台に立った。命を長らえるよりも舞台で死にたい。そういうことなのである。

 晩年の遠藤周作のエッセイを読んでいると「死」の話がけっこう出てくる。『眠れぬ夜に読む本』(光文社)では、女医のキューブラー・ロスが、瀕死の子供たちに「ぼくたち、どうなるの」と聞かれると「あなたたちはサナギのカラをここに残して、あの世で蝶になるのよ」と言ったというエピソードを紹介している。同じ話が『生き上手死に上手』(海竜社)の別のエッセイにも使い回されていた。狐狸庵先生、よほどキューブラー・ロスがお気に入りのようだ。
狐狸庵先生の死に対する構えは、上記の歌舞伎役者と思うと、少しばかり違う。エッセイを読むとその違いが判る。狐狸庵先生、とても死を恐れている。良寛の言葉「死ぬ時は死ぬがよし」を引いて《そのような大きなものにすべてを任せる気持ちになりたいと思って三十年――正直いうとこのようなゆったりとした心にはなかなかなれない。》と言ったり、《人が死をおそれる理由のひとつには、自分のすべてがその日からまったく消滅する感覚に耐えられぬこともあるらしい。》
 狐狸庵先生、この「消滅感」とどう折り合いをつけていくかでずいぶん悩んだ様子が書かれている。
 狐狸庵先生、70歳で腹膜透析の手術をした。その時、危篤状態に陥ったのだが、奇跡的に回復した。この死にかけた体験をする8年前のエッセイには《死の淵まで行って生に戻ってきた人はその後、死を恐れなくなるというが(中略)しかし、いずれにせよ、死は思ったほど辛いものではなさそうだ。》と書いている。
 だが、実際には、肉体的苦痛や精神的な苦痛に耐えれらず、愚痴をこぼしたり泣き言繰り言を繰り返していたそうだ。深い信仰心をもつ大作家でも「死」を克服することはとても難しいことだったらしい。

 坂下真民に「無常」という詩がある。

台風には予報があって
難をさけることができるが
無常は何の予告もなくやってくる
この生きとし生けるものに
必ずやってくる最大の問題を
何の用意もなしでは
あの世の関門は通過できない
どんな秀才でもここだけは別だ
無学のおばあさんが
さっさと入っていくのに
いつまでたっても入れない者のあわれさを
多くの人に知らせたい

『JIN』に出てくる若者たちは、無学のおばあさんのように潔かった。実際の歴史を見ても若者たちは自分の信じるところに向かって、軽々とその命を捨てていった。命を捨てることの可否を言っているのではない。命を軽々と担いで生を全うしていくことが大切だと言いたいのである。
 馬鹿な官僚上がりの宰相が、命を地球より重くしてしまったので、生きにくくて仕方がねえや。
「命など軽いものだと龍馬言い」
 そうありたいものである。命より、生き様のほうがはるかに重い。『JIN』を読み終わって、そんなことを考えている。

 ううむ、本ばかり読んでいたけれど、いろいろと考えさせられた連休であったわい。