京都南座の勘九郎襲名披露の口上で、嗚咽を呑みこみながらの勘九郎が芸道精進を宣言した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121205-00000056-dal-ent
口上に並ぶ俳優たちも、泣きながらの口上である。父が、仲間が、亡くなったその日に舞台に立たなければならないとは、なんと過酷な商売だろう。しかし、それでも舞台に上がるのが歌舞伎役者の心意気である。
《市川団十郎は「(勘三郎さんは)しめっぽいのを嫌う。最後まで明るくやりましょう」とあいさつ。片岡仁左衛門は「(勘三郎さんは)会場のどこかにいて息子の芝居を見守っていると思います」と述べた。勘三郎さんの義弟・中村橋之助は「これからも中村一門をよろしくお願いします」と語った。片岡我當は何度も涙をぬぐい、片岡秀太郎、中村時蔵、中村彌十郎、中村扇雀らは涙をこらえ切れず、肩を震わせて号泣。客席もあちらこちらですすり泣く声が聞こえた。》
俳優も泣き、会場も泣く。この一体感が歌舞伎のいいところだ。
十八代目の勘三郎丈は何冊も本を出している。
『勘九郎とはずがたり』(集英社)
『勘九郎ぶらり旅』(集英社)
『勘九郎日記「か」の字』(集英社)
『襲名十八代』(小学館)
などがワシャの本棚に並ぶ。
それらを昨日から読み返しているのだが、ううむ……読めば読むほど悲しいなぁ。あるいは勘三郎丈、自らの命の灯が短いことにかなり昔から自覚的だったのではないかと思わせるフレーズが目につく。そのあたりを『勘九郎とはずがたり』から引く。
《このごろ「勘九郎は死んだ親父にそっくりになった」って言われることが、ほんと多くなりましたね。》
確かに最近の十八代目は、声といい姿といい十七代目によく似てきていた。このフレーズの後に、早世した尾上辰之助について触れ、「早く死ぬと、後継者になにも残せない。役者はいい手本として父親が身近にいることが大切だ」と言っている。そう思うんなら、当代勘九郎、七之助の近くに居てやってほしかった。いかんいかん、また泣けてきた。
『襲名十八代』の巻末では、ビートたけしと対談をしている。その中でたけしが「十八代目」に触れこう発言する。
《「八」は末広がりで、縁起がいいしな。十八代目か、すごいなあ。でも勘九郎ちゃんは、今のまんまやっていけばいいと思うね。いろんなことをやっていっぱい引き出しを増やしてさ。そうすれば、失礼かもしれないけど、晩年の10年は物凄かったねぇって言われるようになるんじゃないかな。その時を見てみたいな。》
これに対して十八代目はこう応じる。
《うちの親父にも言われました。「お前さんはね、大器晩成型だよ」って。でも、その前に死んじゃ何にもならないからね、アッハハ。》
だったら死んじゃぁダメでしょう(泣)。
十七代目が「大器晩成」と言ったけれど、十八代目は「大器晩成」ではなかった。十七代目が昭和63年に亡くなって、以来、五代目勘九郎は中村屋を支えて、獅子奮迅の働きを見せている。平成の名歌舞伎役者と言っていい。
『拝啓「平成中村座」様』(世界文化社)という写真集がある。海外公演の当代勘三郎を追ったものだ。その中に「夏祭浪花鑑」の団七九郎兵衛を演じる当代の鬼気迫る演技と言ったらありゃしない。悪義平次(笹野高史)とのにらみ合いは見ものだった。
嗚呼、惜しい俳優を亡くした。森光子さんではここまでの喪失感はなかったが、十八代目を失ったことは歌舞伎の歴史の中でも大きな損失だと思う。ああ無情……。
それにしても、中京テレビの「ZIP!」はくだらない番組だ。勘三郎丈の死去のニュースで延々と病気(急性呼吸窮迫症候群)の解説をやりやがった。アホか!歌舞伎の歴史に残る名優の死である。もっと事歴について報道しろ。
病気の解説の後にとって付けたように事歴を並べていたが、順序が逆だろう。愚かなマスコミのせいで、悲しみが怒りに変わってしまったわい。今日もこの怒りをパワーに変換してがんばるどー!
あああ、またバカがワシャを怒らせる。「めざましテレビ」の女子アナだ。
勘三郎丈の早い死に「突っ走り過ぎたんでしょうね」とコメントをしやあがった。歌舞伎の「か」の字も知らないで、気持ちのこもらない適当なコメントをはさむな!