寝ては夢、起きては現幻の

「ねてはゆめ、おきてはうつつまぼろしの……」
 恋をするってぇと、相手様の顔が、寝ていても、醒めていても、脳裏に浮かんでしまう。ヘアスタイルや容姿の雰囲気が似ているお方を、ついつい見間違うなんて経験はござんせんか。
 落語ですとね、これが秋刀魚になったりするんでさぁ。「目黒の秋刀魚」に出てくる殿さまなどは、目黒で食った秋刀魚の味が忘れられず、寝ては夢、起きては現幻の……となっちまう。
 ところが、夢に出たり、幻を見たりするのは、なにも好きなものばっかりではないということに、アホなワルシャワは最近ようやく気づいたんですな。好きなお人であろうと、嫌悪する対象であろうと、強い思いがあれば、そうなっちまうってことでさぁ。

 人に「好意を持つ」「好意を持たれる」というのはとてもいいことなんでしょうね。でも、「悪意を持つ」「悪意を持たれる」というのはどうにもいただけない。でも、人間だから、そりゃぁ嫌いな人間の一人や二人はいるでしょうし、嫌われている人の十人や二十人はいるざんしょ。ワシャなんか、性格が奇矯だから、嫌っている人は数多いると思う。
 だから「嫌うこと、嫌われること」についての本を何冊か読んでいる。これに関しては、哲学者の中島義道さんが『ひとを〈嫌う〉ということ』(角川書店)を上梓されていて、これはなかなか名著だと思う。
《さまざまな強度のさまざまな色合いの「好き」と「嫌い」が彩っている人生こそ、すばらしいものではないでしょうか。》
 こういった文章で読者を助けてくれる。ありがたや。