秋の気配

 寝室の西の窓から入ってくる風が冷たい。秋ですね。あ、そうか。今、朝日新聞の1面を見ていて、今日が「白露(はくろ)」だということを知った。もうそんな時期なんだ。このところずっと大きな会議室にこもっていたのと、ぐずぐずした秋雨のおかげで、すっかり季節の変化を見落としていたわい。風がなく晴れた夜は地上が冷える。そんな夜を経て、すっきりした朝をむかえると美しい露の結晶が見られる時期なのだ。しかし、今朝もジトジトと雨が降っている。これでは白露(しらつゆ)にはお目にかかれない。

 秋といえば秋刀魚がいい。殿様が目黒で食った焼秋刀魚もいいけれど、ワシャはやっぱり脂ののったところを刺身でいただくのがいいなぁ。ちょいと生姜をのせて下地をつけてつるっとね。その後に熱燗が追いかけると、こいつはたまりませんわ。
 そんな日本人の食文化の秋刀魚が不漁になっているという。その理由は、秋刀魚の一大漁場である三陸沖の公海に支那中国と台湾の巨大漁船が押し寄せて「かぶせ網漁法」とやらで、秋刀魚だろうがイカだろうがサバだろうが、根こそぎ浚っていくのだそうな。
 支那人に長期展望はない。あるのは目先の金、短期的な利益しか頭にない。10年先、20年先に秋刀魚がいなくなろうが、「そんなこと私たちに関係ないアルヨ」ということなのだ。
 そもそも秋刀魚食が文化として形成されていない。しかし日本人が美味そうに食っているから、真似をしてみれば、美味いに決まっている。それなら軍艦のような船を何百艘と出して、日本の漁船が漁獲枠を決めて細々と獲っているいる横で、ごっそりと盗ってしまえ、ということなのだ。
 遠洋漁業のノウハウと冷凍技術の進歩、それを支那人が手に入れた瞬間から、日本近海の豊饒の海は、死の海にむかって進みはじめた。やつらはなんの規制がなければ、根こそぎ資源を食い尽くす。規制があったってそんなものは屁のツッパリにもなるものか。支那人を甘く見てはいけない。
 小津映画の『お早よう』で、子供が食事の時に「ナンダ、またサンマのヒモノと豚汁かい」と母親に反抗するシーンが出てくる。秋刀魚という食材は、ことほど左様に安価な魚だったのだ。でもね、観ててご覧なさいよ。その内に高級魚になってしまうから。これも支那に鼻面をつかまれて、いいように引きずり回されてきた戦後政治と経済界の遺産と言えるのではないか。
「安保反対」「戦争止めろ」ではなくて「秋刀魚食わせろ」「ついでに鯨も」のデモを始めるぞ。