電車内でのちょっとしたこと

 昨日の続きである。ワシャは名鉄の急行豊橋行きに乗っている。数百人の行列を回避したためだろう。車内は比較的空いている。五人掛けの横向きのシートの中央に空席があったので、両隣の客に触れないようにそこに小さくなって座った。左は初老の女性、右は細身のサラリーマンである。
 次の駅でサラリーマンが降りた。入れ替わりに大きなスーツケースを持った太った50がらみの女性と、2歳くらいの子供を抱えた若い女性が乗り込んできた。この女性も太っている。似たような体形で、そっくりな顔をしているので間違いなく親子だ。
 母親はワシャの隣の空席を娘に「座んな」と指示し、自身は対面の一番端に座った。
 娘は子供を抱えたまま大きな尻をシートに降ろそうとしている。よく上着の裾を隣の人に踏まれるということがあるので、ワシャは少し左に逃げた。左隣の初老の女性も合せてずれてくれた。これで大きな尻は隙間に納まった。
 ところが、抱えていた子供の足がワシャのズボンの上に着地してしまった。新調したばかりのスーツの膝のところに足跡がくっきりとつく。ワシャは膝を左に逃がし、ついた足跡を手を大げさに払った。
 もちろん子供を抱いた女性は起きたことに気がついている。子供の足を左手で抱え込んだのだからね。対面に座った母親のほうも終始見ていた。しかし、二人の女から「ごめんなさい」とか「申し訳ありません」という発言は出なかった。別にいいけどね。

 今朝の朝日新聞「声」の欄。やはり電車内の小さなもめ事を記した投稿がある。内容を要約する。
 投稿者が乗り合わせた電車で、70代の老人が優先席に座るなり、隣の席で携帯を見ていた中年男性に「携帯電話を切れ。ここは優先席だ。私は障害者だ」と怒鳴りつけた。中年男性が「消音しているし通話もしていない」と反論すると、ますます激高し車内にあった非常停止ボタンを押して、電車を止めてしまった。駆けつけてきた運転手に老人は「障害者への非道」を訴えるのだった。

 戯作者のパオロ・マッツァリーノが「怒りアレルギー」について『新潮45』に寄稿している。
《怒る・叱る・注意することは、人間社会に不可欠なコミュニケーションです。なのに日本人は、怒りを相手に伝えることを異常なまでに忌避します。》
 そしてこう続ける。
《私は、よその大人やよその子、その親に、わりと積極的に注意します。図書館内で携帯電話をしているオッサンに、やめるように注意します。》
 朝日の投稿を読んで、「あ、この爺さん、マッツァリーノの文章を読んだのかも」と思った。恐れず相手に怒りをぶつけるところまでよかった。でも、怒り方、叱り方に慣れていなかった。いくらなんでも電車を止めてはいけない。自分に加えられた小さな迷惑と、自分が不特定多数に加える大きな迷惑を計れなくては、怒る資格はないだろう。

 ワシャのケースはどうだろう。「汚い!足をどけろ!」と怒鳴るのがよかっただろうか。とくにワシャの声は胴間声で、この声を間近で子供が聴いたなら、引きつけを起こすかもしれない。だから、ことさら大げさに汚れた部分をはたいたのである。もちろん子供を抱いた女性はワシャの行動を目の当たりにしている。謝りはしなかったが、内心では、「隣のオジサンが不快に思っている」事実にたじろいでいるのだ。ワシャはズボンが汚されなければそれでいい。
 まもなく目的地の駅に着いたので席を静かに立った。