多崎つくるは名古屋人?

 村上春樹の熱烈なファンというわけではないけれど、とりあえず話題にあがったので読んでおこうと『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)を手に取った。
 おもしろかった。この作品は今までの村上作品を読んでいなくても楽しめる。個人的なことを言うと、主人公の多崎つくる、アカ、アオ、シロ、クロというあだ名の友人たちが名古屋の子らであるというのにもシンパシーを感じたので、さらに取っつきやすかった。
《五人は名古屋市の郊外にある公立高校で同じクラスに属していた。》とある。進学校でもあると書いてあった。「名古屋市の郊外」で「進学校」となると該当する高校はそれほど多くない。アカは成績からすれば東京大学が楽勝で、つくるは出来が悪くて、がんばって勉強をした結果で東工大である。そのあたりから類推すると、旭丘高校、明和高校くらいしか該当しない。明和高校は、名古屋の官庁街に隣接する立地なので、これは「郊外」というには難しかろう。そうなると徳川園やナゴヤドームが近くにある旭丘高校で当たりのような気がする。
 どちらにしても、名古屋の風景描写は少ない。そこにもの足りなさを感じるが、村上さんも《名古屋ももちろん大都会ではあるけれど、文化的な面をとりあげれば、東京に比べてうすらでかい地方都市という印象は否めない。》と言っている。詳細に描き出すほどの街ではない、というだろう。

 物語は全19章からできている。1章、2章で登場人物の紹介、舞台がどこか、世界観の説明などがなされ、読者を村上ワールドに誘っていく。10章あたりからロードムービーの様相を呈してくる。主人公の過去を解明するべく友人を訪ねてまわるのである。その中で一つひとつの謎が解きほぐされていく。
 と、言っても、この作品に途中で登場する人物に関わる話は最後まで説明しきれていない。それにもっとも重要な人物との関係も未完のまま終わっている。このあたりをみると、どうも続編があるような気がしてならない。

 主人公の仕事は「駅をつくること」である。その関係もあって趣味は「駅で見知らぬ人と行き交うこと」。人に出会い、人と別れていく、駅に象徴される「一期一会」。このことが作中で象徴的に「死」として表現されていると思う。
「自殺」「殺人」「死後の世界」「現実的に死ぬか、あるいは比喩的に死ぬか」など多数の死にまつわるフレーズが出てくる。「死」という事象の先の未知の部分は訪ねてみなければわからない。作中で緑川という登場人物にそのことを語らせている。
《死ぬこと自体は怖くない。本当だよ。たくさんのろくでもない、くだらない連中が死んでいくのをこれまで目にしてきた。あんなやつらにだって出来たことだ。俺に出来ないわけがあるまい》
《考えても知りようのないことは、また知っても確かめようのないことは、考えるだけ無駄というものだ。》
象徴的な意味としての「死」という事象の先は、巡礼してみなければわからない、そういうことなのかなぁ……。
 まだ、一度読んだきりで、消化しきれてない。ワシャの読解力のなさも手伝って、歯切れが悪い。もう少し深読みをして、他の人の感想も聴きながら、あわせて「死」についても考えていきたい。

 でもね、断言できるのは多崎つくるくんは、人種として名古屋人ではないような気がする。これホント。

 ぜひ、ご一読をお薦めします。