町奉行は忙しい

 4月4日の日記に書いたが、今、NHKBSの「大岡越前」がおもしろい。昨日は「白洲に咲いた母子草」という物語だった。最初は、「白洲」「母と娘」がキーワードだと思い、「はは〜ん、これは『大岡政談』の『実母・継母の御詮議の事』を題材にしているな」と当たりをつけた。
 見終ってみれば、ワシャの浅薄な推理とはまったく違っていい話にまとまっている。脚本を手がけた大西信行さんはさすがに巧い。
 物語は、貧乏だが働き者で仲のよい母と娘がささやかながら幸せに暮らしていた。娘の気立てのいいのを見初め、大きな商家から縁談が舞い込む。話はトントンと進み、大岡越前の配下の同心村上源次郎が仲人をすることになる。商家からは母に当座の生活費のようなかたちで50両が手渡された。母はその金を、「娘を自分に託したくらいだからきっと貧乏をしている。50両は実の母親に手渡してほしい」と村上に頼むのだった。
(この辺りでワシャは、白洲で子供の手を引っ張り合いをする話を思い浮かべたんですな。配役に杉田かおるがいたので、「意地の悪い実母」の役をイメージの中で当てはめていた)
 村上から相談をうけた大岡越前は、配下に命令して実の両親を探し出した。娘の実の両親はすぐに見つかった。それは大きな質屋の夫婦だった。夫婦は、かつて娘を神隠しで失っており、その後、ずっと心を痛めていたのである。
 最終的に、母娘、質屋の夫婦は白洲に引き出され、大岡裁きでお涙ちょうだいという結末。ううむ、由紀さおりのテーマミュージックもいいし、はまってまっせ。

 それはそれとして、江戸町奉行のことである。南も北も同様であるが、奉行の下に与力25人、同心120人がつけられた、月番で幅広い役務をこなす。寺社、武家を除く町方60万人の行政、裁判を行い、法令も発している。もちろん警察権も有しており、町方に対して強い権力を行使する、大変な業務と言っていい。
 ドラマの中で、大岡忠相は、着流しに編み笠といったいでたちで役宅を抜け出し、市井の様子を見聞しているが、これはとてもじゃないができることではない。詳細に述べれば、江戸府内の町民、囚獄、養生所役人、寺社領内の町民の支配。火附、盗賊の吟味。道路、橋梁、上水の維持管理。町方の全訴訟。幕府評定所の合議決裁への参加。このすべての仕事が町奉行の肩にのっている。おそらく町をぶらぶらと歩くというようなことはできなかったろう。

徳川実紀』の享保4年4月14日の項。
町奉行坪内能登守定鑑前に病免せしにより。仰出さるるは。今より後。その闕を補はずして。二人に定めらるべければ……》
 これは、町奉行能登守が病によりお役御免になったので、今後は闕(不足)を補わず2人体制でやっていく、ということを言っている。つまり、この日までは町奉行所は南北ばかりではなく中奉行所もあったのじゃ。厳密に言うと、元禄15年から17年間、江戸町奉行は3人体制だった。
 ま、大岡忠相切れ者の官僚だったので、質素倹約を旨とした吉宗が「3人も要らないや」ということになったのだろう。でも、3人が2人になったので、忠相にしてみれば、また一段と忙しくなったに違いない。優秀な人材はいつの時代も追い使われる定めなのである。