終戦の日に

 秋に開催する読書会の課題図書を考えているときに、東京のメンバーから、今年の3月に上梓された、平山周吉『小津安二郎』(新潮社)の推薦があった。これね。

 ワシャは小津安二郎にはメチャメチャ影響を受けている者である。小津作品は「東京物語」「麦秋」「晩春」「秋刀魚の味」「一人息子」など、ぴあの「シネマクラブ邦画篇」でも☆☆☆☆を取る名作ぞろいだ。その他の作品も日本映画に限らず世界レベルで高い評価を受けている映画が目白押しだ。もちろんみんな観てまんがな。今はなき名画座とかで。

 小津関連の本も読んでまっせ。

ドナルド・リチー小津安二郎の美学』(フィルムアート社)

田中眞澄編『小津安二郎戦後語録集成』(フィルムアート社)

田中眞澄編『小津安二郎全発言』(泰流社)

小津安二郎集成』Ⅰ・Ⅱ(キネマ旬報社

佐藤忠男小津安二郎の芸術』上・下(朝日新聞社

高橋治『絢爛たる影絵』(文藝春秋

都築政昭『小津安二郎日記』(講談社

 まだまだ、書棚には小津本が並んでいるんですよ(笑)。

 

だから、メンバーの紹介本がつまらない本だったら2,970円で買っても書庫に入りきらないので、取り合えず、近くの図書館に在庫があれば、それで内容を確認してからと思ったのである。ネットで検索すると、おおお、ちゃんとありましたぞ。なかなか品ぞろえのいい図書館だ。

 余談だが、何代か前のそこの館長が小津ファンだったそうな。その館長は、市長、副市長に逆らって館内にシアタールームまで造ってしまった(笑)。

 本を見つけたので、早速、予約をしたんですよ。ところが、ワシャが予約ボタンを押す寸前に、ポチッとした人があって、ワシャの予約は2番目になってしまった。それが7月29日のことだった。8月1日まで3日ほど待ったけれど、400ページほどもある大部なので1番の人もそうそう簡単には読み終えられまい。だからそのボリュームにビビッてすぐに返却されるかとも思っていたが、まじめに読んでいるようだ。そうなると2週間はワシャの手元には届かない。

 ここが本読みの性(さが)ですな。読めないと俄然読みたくなり、どうせ確認していい本であれば購入するわけだし・・・ということで、隣町の大きな書店まで流星号で走って、買うてきたんどす。

 そうしたらこれが面白い。ウハウハ言いながら読んでいたら、一昨日、図書館からメールがあって「予約した本がご用意できました」ということで、上記の写真のように2冊の『小津安二郎』がワシャの手元に揃ってしまったのだった。

 せっかく予約までして借りたので、一応、読んでみることにしたが、やっぱり内容は同じだった(アホ)。早速、返却しておこうっと。

 

 それはさておき、平山周吉『小津安二郎』(新潮社)の中に、本居宣長の話が出てくる。ちょいと引く。

《「宣長は松坂の商家小津家の出である」(中略)松坂の小津家の一党から出て、宣長は姓をあらため、先祖の本居を名乗る。》

 宣長実学を継いだ養子は、松坂の豆腐屋の倅(せがれ)であり、小津安二郎が、自らの映画作りを、豆腐作りに見立てていることからも、宣長と小津との縁が知れる。

 そこへもってきての、呉智英塾での話題で本居宣長が出てきたので、ワシャの中でバラバラになっていたリテラシーのピースが合致した。小津は宣長の影響を強く受けていたんだ。

 さらに言うとね、呉智英塾の後段で出てきた清沢満之なんだけど、この人、名古屋の足軽の子として生まれたんだけど、とにかく頭のいい子供で、愛知一中(現旭丘高校)から東京大学に進んで哲学を学んでいる。塾生の中にも旭丘出身の人が何人もいたし、主宰のセコミチさんのお嬢さんも旭丘であることを呉先生が言っていた。ここでもいろいろな話題がつながっていく。

小津安二郎』(新潮社)の中に、小津安二郎の盟友と言っていい脚本家の野田高梧が愛知一中の卒業生であることに触れている。本文を引く。

《小津と野田のコンビにとって、松坂と宣長には、もうひとつの縁があった。(賀茂)真淵と宣長の「松坂の一夜」を世間に広く知らしめたのは歌人国学者の佐々木信綱である。信綱は幼少期に松坂に住んだこともあり、(中略)佐々木信綱の女婿となった国文学者で東京大学教授の久松潜一は、愛知一中で野田高梧の同級生であった。》

 リテラシーピースが音を立ててくっ付いていくでしょ。これだから読書はやめられない。人生後半になっても勉強はやめられない。

 

 さて、今日は8月15日であるから、小津さんから少し戦争のことを考えてみたい。ネタ元はすべて『小津安二郎』(新潮社)である。

 世界的な名作である『麦秋』を取り上げた田中眞澄の文章をが本文の中にある。ラストシーンである。

「大和の麦の実りの中を花嫁行列が行く。それを見て老夫婦は嫁に行った娘紀子を想う。紀子の結婚は一本の麦の穂に象徴された戦死者省二[次兄]が仲立ちとなった。死があらたな生命の誕生をもたらすのである。それが即ち輪廻なのだが、それは間宮家だけに限られない。麦の穂は数知れず、無数の死者の見守る中を花嫁が行く。小津が『麦と兵隊』の徐州会戦にも参加したことを考えるならば、この麦畑は無数の戦死者の霊に満ちている」

 この作品、『麦秋』は戦死者戦没者へのレクイエムであると田中は言っている。ワシャもそう思う。ゆえに終戦記念日に持ってくる話題としては相応しいのではないか・・・と考えた。

 この本の表紙に小津とともに写る若者が、小津の親友であり映画監督の山中貞雄である。彼を始めとして、三百何十万という麦の穂があって、その死が後世の私たちの生命を紡いてくれているのである。小津が山中の死に遭遇しなければ、『麦秋』は存在しなかった。

 そういった意味からも、今日は「敗戦記念日」ではない。大きな犠牲によって戦争を終えた「終戦記念日」であり、あらたな日本の歴史のスタートでもあった。今、我々日本人は、過去の無数の麦の穂に対して、この国のことを胸を張って自慢できるだろうか。