小津安二郎の作品に『宗像姉妹』という作品がある。これで「むなかたきょうだい」と読む。小津の作品の中では佳作と言っていい。名コンビの脚本家野田高悟と組んで大佛次郎の原作ものに挑戦した。ワシャ的にはあまり印象に残っていない一作である。
この作品に主人公の妹役で高峰秀子が出ている。この時、高峰は25歳、すでに人気女優としての地歩を固めていた。しかし、高峰は意に沿わぬ境遇だったという。彼女は義理の母とその親族の生活をそのか細い肩に押しつけられ不本意ながらも女優稼業を続けていたのである。そんなことはスクリーンからまったく伝わってこなかったし、ワシャのタイプの女優ではない。だから、役者としての高峰には注目しても人間高峰としては興味がなかった。
松竹の木下恵介が監督した『カルメン故郷に帰る』でも主人公のストリッパーを高峰が好演している。きれいだとは思ったけれど、目が細い。ワシャはどうも目の大きい女優に魅力を感じるようだ。
高峰の著書に『わたしの渡世日記』(文春文庫)がある。表紙を飾るのは、梅原龍三郎の油彩で描かれた高峰の肖像画である。上巻は紅い長袖のシャツを着たもの、下巻は胸元の大きく開いたドレスを着た高峰が描かれている。この二つの絵、どちらにも違和感が付きまとう。なにに違和を覚えるかというと、肖像画の目なのだ。やたらと大きいのである。
これにはエピソードがあって、梅原が高峰をモデルにして絵を描くのだが、どうしても目が大きくなってしまう。その原因を梅原がこう言っている。
「デコちゃんの眼光が鋭いのでどうしてもこうなってしまう」
本物の芸術家は、高峰の内面をしっかりと見つめていたのである。ワシャも高峰の内面を見るだけの力量があれば、目が大きく見えたのだろうが、表層しか見ることのできない凡夫なので、今まで高峰の魅力に気がつかなかった。
年齢をかさねることで見えてくることもある。そういうことかなぁ。