日本の女優でナンバー1を挙げろと言われれば、ワシャは一も二もなく原節子を推す。なにしろ日本人離れした顔立ち、スタイル、雰囲気は生半可ではない。新潮社から『原節子のすべて』という本が出ているのだが、その巻頭に水着のグラビアが載っているんだけれど、その可憐なことと言ったらありゃしない。この写真のもとは1936年の『日活画報』7月号だから1920年(大正9)6月17日生まれの原さんは16歳である。86年前の写真なんだけれど、これがまったく色褪せていない。いや、写真としては色褪せているのだが、写り込んでいる女性の、とんでもないの美しさ・・・。ここに載せられないのが残念だが、「原節子」で検索してもらうと何枚かは出てくると思うのでお試しあれ。 まず、日本の女優の中で原節子の存在を超える女優をワシャは知らない。
ワシャが原さんを観たのは、小津安二郎監督の「麦秋」(1951年作品)が最初だった。もちろん1951年にはワシャは生まれていないので、リバイバルで観たんだけど、スクリーンの中の原節子演じる紀子の知性的で上品で、その上に美しいことに腰を抜かした。この映画のころは原さん30歳だと思うが、とてもとても、20代半ばの艶やかさなんですね。
その後、小津作品の中の原節子をずっと観てきた。「晩春」、「東京物語」、「東京暮色」、「小早川家の秋」、どれもいい作品だし、原節子が大好きだった小津監督なので、見事に原節子の魅力をフィルムに焼き付けている。
小津安二郎と原節子のプラトニックな愛は、これまた語れば尽きないけれど、今日は原さんだけに特化して書くけれども、この大女優の引き際も格好よかった。1963年12月12日に小津安二郎が亡くなる。その日を限りに原節子は女優を引退したのであった。以降、一切の表舞台に顔を出すことはなかった。まさに女優生命を小津に捧げたのである。
原節子はその後、見事に隠遁しきって、2015年(平成27)に小津のもとに逝った。
だから、世間は40歳(には全然見えないけれど)の原節子しか知らない。完璧に美しい女優原節子を永遠に保存していったのである。
こんな毅然とした女優をワシャは見たことがない。女優としてばかりではなく、人間としても尊敬してやまない。