プロ市民からハイエナ市民

プロ市民」という言葉が人口に膾炙して久しい。定義としては、「市民のふりをして活動する左翼活動家、日本の国益を侵そうとする外的勢力シンパ」とでも言えようか。

 一時期、「ちびくろサンボ」という絵本排斥運動が大騒ぎになった。ワシャは子供の頃に、この絵本に親しんだものである。多分、ワシャと同世代の方は、一度や二度は手にされたこともあるだろう。とても面白く、子供心にワクワクした記憶があるでしょ。
 それが「黒人差別だ」と糾弾され「ちびくろサンボ」は排除され、子供たちの手から取り上げられてしまった。最近、ようやく復活しているようだが、一時期は抹殺された。
 この延長上に赤塚不二夫の漫画に出てくる「ウナギ犬」への糾弾がある。ウナギ犬、体が黒いので黒人差別だとやり玉に挙げられた。赤塚さんが「黒人差別」をするような低級な文化人でないことは、普通の日本人なら知っている(プロ市民は違うけど)。
 そもそもウナギ犬は、ウナギと犬が結婚してできたキャラクターである。それが単に色が黒いというだけで糾弾されてしまった。オバQが人種差別でないのは、藤子不二雄が色を黒く塗り忘れたからだ、という話もあるくらいで、プロ市民というのはとんでもない言いがかりをつけたものである。
 社会全体が左の呪縛から解けてみれば、「黒人差別」と声高に叫んでいたプロ市民の意識が、いかに奇矯なものだったかが判るようになった。実際に、蓋をあけてみれば「ちびくろサンボ」排斥運動を展開していたのは、大坂に住む一家族だったという笑えない事実もある。

 たとえば沖縄でも、オスプレイが離陸する際に、凧や気球を上げて妨害しようとしているのは、ごく一部のプロ市民であり、大方の健全な市民は「何をやっているのか」と嘲笑しているという。
 あるいは、朝日新聞の読者投稿の「声」欄なども、ある特定のイデオロギーに支配された人物が、一般市民のふりをしながら、もっともらしく染色された意見を開陳しているに過ぎない(全部ではないけどね)。先日も「道徳の教科化はいらない」などという投書があった。国を愛したり、故郷を大切に思ったりすることを学校で教えるな、道徳はすべて家庭で教えればよろしいという暴論だった。
「家庭が壊れ、親がその機能を果たさないから、学校教育の中で道徳心を涵養するのだろうが!」と思わず突っ込みを入れたものである。
 そうそう、沖縄総領事だったケビンメアさんが更迭された事件でも、普通の市民を装ったプロ市民の暗躍が指摘されている。ことほどさようにごく少数なのだがプロ市民はノイジィマイノリティとして暗中飛躍しているのだ。
 でもね、最近では一般市民のリテラシーが向上し、案外、「プロ市民」のプロパガンダには騙されなくなってきた。それが頼もしい。

 このように「プロ市民」は顕在化してきた。白日の下に晒されると、案外に弱い。見える化が図られれば、それほどの害悪ということにはならないだろう。終息に向かっていると考えていい。
 今日、書きたかったのは、税金とか公を食いものにする「ハイエナ市民」のことだった。つい、「プロ市民」で筆が走ってしまった。今、新たな勢力として「ハイエナ市民」が増殖中なのである。
 一例として、生活保護の不正受給をする連中、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130311-00001052-yom-soci
これなんかも典型的なハイエナと言っていい。
 あるいは、こちらもその一種かもしれない。今朝の朝日新聞社会面にこんな見出しが載った。
「談合で結果保留 舗装工事入札 名古屋市、聴取へ」
 真偽のほどは、只今、調査中らしいが、事実とするなら公共を食いものにしていることになる。ハイエナだ。
 これなどもある種のハイエナかもしれない。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130311-OYT1T00849.htm?from=top
 普天間飛行場の移転先である辺野古埋め立てに関連して、名護漁協が埋め立て同意した。それはいいことだ。鳩山元首相がぐちゃぐちゃにした移転問題がなんとか動き始めたことはよかった。だが、漁協は組合員から同意書はとったものの、政府から納得のできる補償額が提示されるまで同意書を提出しないとした。
 この「納得できる額」というものが曲者なのである。「納得額」がそもそも適正金額なのだろうか。昨今、公共の交渉力は弱い。それは何も沖縄の辺野古ばかりではなく、日本全国どこにでも起きている問題なのである。
 辺野古に飛行場ができなければ、日米安保、東アジアの防衛にまで波及する問題となる。ならば、多少、出し勘定になっても漁民の言うとおり金を積んでおけ、事業の遂行を優先するあまり、鉛筆をなめざるを得ない。そういうことが往々にしてまかり通っているのではないか。
 過大な権利主張を声高に要求してくる市民に、適正な損失補償をしていくこと、これが次なる課題になってくる。そんな気がしている。