指導者の重要性

 このところ週末には酒を控えている。宴席がなければ一切のアルコールを口にしない。ワシャの師匠なら「当たり前だのクラッカーだ」と言われるのだろうが、お酒を愛するワルシャワにはとっては、これでもなかなか骨が折れる。
 金曜日は、花金にも関わらず宴会はなかった。だから酒を飲まずに寝た。ところが昨日の日記にも書いたように長時間眠ることができた。熟睡したと書いたけれど、ずっと夢を観ていたので、厳密にいうと熟睡ということではないのかもしれぬ。それでも布団の中にずっといられたので、ワシャ的には充分な睡眠をとったということになる。

 昨日は午後から仕事に行った。帰ってきて風呂に入る。風呂から出て缶ビールが1本欲しいところだが、ここはぐっと我慢して食事をすます。書庫に入って雑事をこなして、最後にギターをかかえて旅がらす。少し眠気がさしてきたので、この機を逃さずに布団にもぐりこんだ。
 結果から言えば、夕べも6時間は布団の中で過ごすことができた。アルコール抜きで上出来だろう。でもね、やっぱり睡眠は浅い。なにしろ6時間の間に4回覚醒した。目覚めることは目覚めるのだが、またすぐにコトリと寝ることができるので問題ない。それでも90分間隔で目を覚ましていたことになる。ワシャにはタイマー機能がついているんですな。
 そして夢を見た。一晩で豪華4本立てである。これは忙しい。今、4本目を見終わってパソコンの前にいるのだが、1本目の夢はすっかり忘れている。見終るたびにメモでも取っておけばよかったのだが、メモなんか始めた日には、完全に覚醒してしまって眠られなくなってしまうからね。

 おっと、冒頭から話を外してしまった。お題はなんだったっけ。「指導者の重要性」だったね。

「我慢に我慢を重ねて、辛抱した者が勝つんだな。我慢をあきらめたらそれでもう負けだ」
 あるアスリートの言である。
 昭和15年にその男は生まれた。皇紀2600年だったから「幸喜(こうき)」と名付けられる。これは有名な話。
 第48代横綱大鵬幸喜、間違いなく歴代の相撲人の中でトップに君臨する巨星である。

 月刊誌の「相撲」から「大鵬幸喜追悼号」が出た。もちろんワシャの机の上にはそれが乗っていますぞ。その中に二所ノ関親方とのエピソードがある。これも相撲ファンの間では有名なのだが、大鵬二所ノ関部屋に入門してきた時のこと。二所ノ関親方大関佐賀ノ花)は、ひょろりとした童顔の美少年を一目見るなり「これは大横綱になる」と見抜いたというから親方もすごい。
 これは「追悼号」に載っていないエピソードなのだが、二所ノ関親方、ことのほか読書が好きで、『荘子』なども愛読されていたそうな。その『荘子』から大鵬という四股名を選んだ。この親方、ホント!只者ではない。
 大鵬を見込んだ二所ノ関親方は、徹底した管理をしながら英才教育を施す。あるいは相撲界の帝王学と言ってもいい。それを精魂こめて叩きこんだ。親方の愛情を受けて大鵬はすくすくと育ち、鯤は鵬になった。

 先般、引退したロボコップこと高見盛である。彼は日大の相撲部から大相撲に入った。彼はとても気の優しい(気の弱い)性分で、高校時代までは相撲では全国的に強いにも関わらず後輩からいじめられていたという。
 高見盛の性格を見て取った日大の監督は「通常の相撲部屋では、先輩のいじめで精神的につぶされてしまう」と判断し、穏やかな気風で知られる東関親方(高見山)の部屋に入門させたのである。
 これが功を奏した。苦労人高見山の部屋で高見盛はのびのびと育っていく。幕下付け出し初土俵から5場所で十両昇進。そこから半年で入幕を決めている。このスピードはかなり早い。これが時津風部屋(いじめ暴行死のあった部屋)あたりだったら、十両昇進はおろか、幕下の間にいじめられて、気の弱い高見盛は青森へ帰ってしまった可能性が高い。

 要するに指導者の質が大切ということである。体罰があろうがなかろうが、指導を受ける弟子、教え子、部下たちの顔に「おびえ」が出たら終わりなのだ。二所ノ関親方も、東関親方も、手を出さないということはなかったろう。しかし、それを補って余りある愛情を弟子たちに注いでいた。だから、あの気の弱い高見盛でさえ、相撲の世界からケツを割らずに、人気者の力士としての力士人生を全うできたのである。

 昭和39年初場所春場所大鵬は全勝優勝を重ねていた。都合13回目の優勝でもある。ここで大鵬の心に慢心が生まれた。夏場所4日目に突貫小僧の異名をとる前田川に敗れ、そこから崩れて優勝を逃す。その翌場所は1勝4敗で休場する体たらく。
 これを深刻にとらえた二所ノ関親方は、場所後、大鵬を静岡の寺に押し込めてしまう。そこで制約の多い不自由な生活を余儀なくさせた。さしずめ朝青龍あたりであれば、不平不満をぶっこいてモンゴルに帰ってしまうのが関の山なのだろうが、大鵬は師匠の言いつけを守り、山寺での厳しい修行に励む。子弟間の信頼関係があったからこそ、昭和の大横綱は大横綱たりえた。それなくしては若鳥は育つまい。

 ワシャだって高校の英語教師のモノが良ければ今頃は東京大学を出て……それは絶対にありえませんな(笑)。おあとがよろしいようで。