歴史の妙味

 天声人語氏がまた説教コラムを放っている。今日は成人式なので新成人に対して「大人になるということは、歴史と出会うこと。歴史に出会うとは、社会を見いだすことでもある」と、人の言説を引いて薀蓄をたれるたれる。
 少し気になったのがこの部分。「物の本によれば……」と前置きしてこう続ける。
「子どもには未知の行事や出来事が次々に訪れ、心の時は細かく刻まれる。だから時間がゆっくり進むように感じる。大人になると胸躍るイベントが減り、加齢で代謝も鈍り、心の時計は緩慢になる」だから、時の流れを早く感じるようになると断言する。
 ホントかいな。天声人語氏は時折(しょっちゅう)ウソを吐くから気をつけないとね。まぁ一般的にはそう言われているからそういうことにして先に進む。
 ワシャは年齢を重ねてからのほうが時間を有効に使っている。だから「今日はあれもやった、これもやった。あの人にも会ったし、例の本も読んだ」ということで、ただボーッと生きていたガキの頃と比べても充実していて1日が量的に多い。
 昔は一度に一つのことしかしなかったから1日24時間しかなかった。しかし今はなるべく一度に3つくらいのことはするようにしている。例えば「睡眠をとる」ということはそれしかできないが、「風呂に入る」ならば同時に本が読める。ついでに思考の邪魔にならない音楽を聴くこともできる。食事の時でもそうだ。食べ物はゆっくりと咀嚼したほうがいい。だから一口ふくむとゆっくりと噛みながら、新聞を読み髭を剃る。通勤時も自転車を押しながらウオーキングをしている。安定した歩きをするためとかさ張る資料を運搬するために自転車は必須。そして音楽を聴きながら本を読む。
 それに隙間時間を無駄にしない。電車に乗ったら、気心の知れた友だちでもいれば楽しく会話をして過ごす。一人ならば、即、本を取り出して読書である。この時に立っていれば踵の上げ下げ運動をしたり、ヒンズースクワットを目立たないくらいにしている。会議中でも、大切なのはごく限られた人の発言で、その他はどうでもいいことが多い。無駄な話に付き合っているのはもったいないので、あらかじめ仕事がらみの書類を持ち込んでおけばだらだらと長いだけの会議も有効に使える。歩く時は速足に決めている。時には走ることもある。会社の中を走っているのはワシャぐらいだと思う。なにしろ時間がもったいないからね。かといってエレベータは使わない。省エネということもあるのだが、実際に4〜5階の移動なら階段の方が早かった。それに運動にもなる。ちょっとした打ち合わせなら階段を上がる間に済ませることもできる。
 そういった時間を重ねることで、1日24時間しかないところを28時間、32時間くらいには使っているかなぁ……それくらいには使いたいと思っている。

 話がいつものことながら大きくずれてしまった。軌道修正をする。今朝の朝日新聞を見ていたのだった。ついつい天声人語で引っかかって……(笑)。
 さて、その新聞をくつろげると、文化面に「はじめての司馬遼太郎」というコーナーが紙面の半分を割いている。その紙面で白髪の司馬さんが笑っていた。新聞を確認するのと同時に、『日本史歳時記』(小学館)をペラペラと繰っている。これもほぼ同時作業。そこで1月14日のページを確認すると、今日が「高島秋帆」(たかしましゅうはん)の命日だった。
「ほぉ、高島秋帆……」
 高島秋帆、寛政10年(1798)長崎で町年寄の三男として生をうける。長崎港の防備担当になったことから西洋砲術を学ぶ。この知識により幕府に出府することとなり、高島流砲術として名声を得ることとなる。晩年が幕末に重なり、幕府はもとより日本の砲術の近代化に寄与した人物である。
高島秋帆」と「司馬遼太郎」というキーワードである作品を思い出した。司馬遼太郎の短編「おお、大砲」である。司馬さんの名短編の中でも、とくにおもしろい作品と言っていいだろう。
 主人公は題のとおり「大砲」である。大和高取藩に代々伝えられている「ブリキートス」という大坂の陣で活躍した伝説の大砲である。これを譜代の高取藩は東照大権現(家康、実際には秀忠)から賜った。ゆえに藩の宝である。これを高取藩は2万5000石の微禄ながら、藩を上げて260年もの間、守り抜いてきた。しかし、その間にヨーロッパで砲術は進化しており、高取藩の守ってきた鉄の塊を空中に飛ばすだけの権現砲は過去の遺物となっている。
 そんな折に、畿内天誅組の乱が起きる。備前浪士藤本鉄石系、参州刈谷の松本奎堂系の志士が集って五条の代官所を襲撃、その勢いをかって高取藩に押し寄せてきた。これに対峙したのがブリキートス6門である。しかし、260年の歳月でそのうち5門は役に立たなかった。唯一、火を噴いたのが主人公の大砲である。これが轟々と飛んで、敵将の兜にあたって、その将は三日三晩耳鳴りに悩まされたという。しかし、これに驚いた天誅組は算を乱して壊走した。このために高取藩は天誅組に勝つことができたというから笑える。
 高島秋帆が江戸で講武所砲術師範として幕府の軍事部門の近代化を進めている頃、畿内ではこんな滑稽な砲戦が行われていた。歴史というのは、同じ時間帯であってもいろいろな面差しを見せてくれるので興味が尽きない。