我が意を得たり

 齋藤孝『10分あれば書店に行きなさい』(メディアファクトリー新書)がおもしろかった。内容は「書店は話のネタや企画のヒントの宝庫。読解力や判断力を鍛える道場。潜在能力を引き出すパワースポット」、だからわずかな時間でもいいので足しげく通いなさいというもの。メモ的にエキスを羅列しておく。

(1)知的トレーニングとして書店に通え。
(2)読書体験は知識・教養のみならず、精神の安定にも役立つ。モチベーションを維持するためにも本を読め。
(3)どんな仕事であれ、現場で常に求められているのは工夫やアイディアだ。ただこれは、机にいくらかじりついて考えても得られるものではない。経験も大事だが、同時に新しい知識や情報が不可欠。これを本から入手しろ。
(4)心の拠りどころとなる書店をつくれ。
(5)本は必ずしも読み切る必要はない。買って手元に置いておくことが重要である。
(6)書籍費はどんどん使え。文化を買い支えているんだという気概を持て。
(7)買って書棚に並べるのが1冊ではなく。数百冊にでもなれば、そのパワーたるや尋常ではない。
(8)買った本はすぐにさばけ。さばく時間は1冊10〜15分。その後、天日干しにしておけばいい。

 なるほど。
 もともとワシャは本好きだった。しかし、その本好きというのは一般的な本好きの域を出るものではなかった。ところが2004年にとあるセミナーに参加して、読書というものに対する考え方が劇的に変化したのである。それまでは、それでも年間200〜300冊くらいの本は買っていたのだが、その年から1000冊の大台にのった。そのペースはずっと続いているから、2004年以降だけでも9000冊の本が増えたことになる。今、ワシャの周囲を見回しているが、確かに本が増殖している。10年前と比べると空間の隙間が激減しているのは間違いない。
 これだけ本が増殖してくると、さすがに家族に対して引け目を感じるようになる。だってそろそろ書斎や書庫から廊下にはみ出しつつあるものですから。
 でもね、齋藤さんの本を読んで「やっぱりそれでいいのだ」と思い当たった。ワシャは文化を買い支えているのだ。これでいいのだ(エヘン)。

 おっと忘れるところだった。今日は「三河地震」の日だった。
 昭和20年1月13日午前3時38分、愛知県南部を強い地震が襲う。いわゆる三河地震である。マグニチュードは7.1というから兵庫県南部地震に匹敵する巨大地震と言っていい。当時、さほど人口集積のなかった西三河南部で2000余の人命が失われたことが災害の激烈さを物語っている。災害は他所事ではない。阪神・淡路大震災中越地震能登半島地震中越沖地震東日本大震災……地震はどこでも起きうる。そして誰もが被災者になる可能性がある。そのことを忘れてはいけない。