ふるあめりかに袖はぬらさじ

 花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に

 百人一首のうち、小野小町の歌である。歌意は二つ。
「美しい花の色はあせていく。むなしく春の長雨が降っている間に」
「私の容色はすっかり衰えてしまった。むなしくこの世を過ごし物思いにふけっている間に」
 春の風景を詠んだと見せかけて、実は自分の容色の衰えを嘆く。これを紫式部ではなく小野小町が詠んだところが味噌ですな。
「花の色」はそのままの読み方と「美女の容色」という意味が二重にある。「ふる」は「経る」と「降る」、「ながめ」は「長雨」と「眺め(物思いにふける)」を掛けている。

 さて、昨日、NHKのEテレで坂東玉三郎の「ふるあめりかに袖はぬらさじ」の舞台中継をやっていた。原作は有吉佐和子の「亀遊の死(きゆうのし)」という短編小説である。この題となっている歌はこうだ。

 露をだに厭う大和の女郎花ふるあめりかに袖はぬらさじ

これにも歌意は二つある。
「大和の女郎花(おみなえし)は、露だけでも嫌だと思うのに 降る雨に袖を濡らしたりはしません」
「日本国の女郎は ほんの少しだって異人に肌を許したりはしませんよ、だから端っから振る気のアメリカ人に濡れたりするもんですか」

 物語はというと、幕末の横浜にある遊郭の岩亀楼(がんきろう)で起きた女郎の自殺に端を発した悲喜劇。詳細な内容はこちらで。
http://www3.ocn.ne.jp/~ariyoshi/sawako/reading/kiyu4.htm
 実のところストーリーなどどうでもいい。重要なのは、坂東玉三郎が主人公のお園を演じているということである。これがよかった。さすが現代の歌舞伎の名優である。初めて見た頃から比べれば老けてはきた。今年63歳になる。かつての輝くような花の色は移ろってはいる。しかし、加齢による味の醸成がすすみ、テレビ桟敷で思わず「大和屋!」と叫んでしまったほどだ。
 最初に観た歌舞伎が十八代勘三郎(当時は勘九郎)と玉三郎の「鰯売恋曳網(いわしうりこいのひきあみ)」だった。このご両所で歌舞伎の皮切りをしたことは運がよかった。巧い演者に魅せられたことでその後、ずぶずぶと歌舞伎にはまっていったのだから。
「鰯売」の相方は彼岸に旅立った。残るは玉三郎のみである。ぜひ、移ろっていく女形の美、70歳のお園、80歳の女暫(おんなしばらく)、90歳の娘道成寺……観てみたいものである。