町境の短い隧道を抜けると、そこは錦秋であった。朝の空が青かった。
ワシャは出勤に自転車道を使っている。この自転車道、緑道とも呼ぶ。まさにそのとおりで緑が多い。とくに県道下の隧道を抜けた先が、こんもりとした森のようになっている。この時期、この隧道から、その先の出口を見るのが好きだ。赤、黄、橙、緑の木々がちょうど四角に切り取られて、絵のように美しい。赤いのはハゼノキである。黄色はイチョウ、場所によってハゼノキが橙に色む。緑はもちろん常緑樹である。これらが見事に綾錦を織りあげているのだ。
緑道沿いに大きな公園がある。その中に楽しみなイロハモミジが生えている。植生の位置の関係なのかどうか、素人には判じようもないが、公園内の紅葉、黄葉から明らかに遅れている。錦織りなす公園で、独り緑色の葉を誇っていた。それが葉先から徐々に紅葉を始めた。日に日にその紅が染み透っていくさまが美しい。もう師走である。
綺麗な話題のあとで不様な話。大阪府泉佐野市が市の名前を売るという話を今年の6月9日の日記に書いた。
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20120609
泉佐野の市長は必死に市名を売ろうとしていたのだが、残念ながら売れなかったとさ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121130-00001063-yom-soci
奇をてらうというか、派手なパフォーマンスと言おうが、泉佐野の市長は目立つことが好きなのだろう。泉佐野市長の市議会議員時代のホームページがこれだ。
http://www3.ocn.ne.jp/~chiyo51/
プロフィールはこちら。
http://www3.ocn.ne.jp/~chiyo51/profile.htm
この御仁、肩書が大好きなんですな。肩書をずらずらと並べて喜んでいる。こういった目立ちたいばっかりの人物は得てしてバカが多い。いやいや泉佐野市長のことをくさして言っているのではない。まさか小学校5年の時の児童会副会長まで記載するとは、バカじゃなければ書けまへんで。あ、やっぱりくさしているか。
まぁ、まともな人は市の名前を売ろうなどという突拍子もないことを思いつきませんわなぁ。
その上に泉佐野市の特別顧問が、あのちょんまげ男の松波健四郎氏と聞いてびっくらしましたぞ。こりゃ泉佐野市、立ち直れまい。
口直しに……。
『万葉集』巻第一に額田王(ぬかたのおおきみ)が「春秋の争い」に判定を下したというエピソードがある。
順番に説明する。「春秋の争い」とは日本の文学独特の「春と秋とどちらが優っているか」という風雅な論争のことを言う。天智天皇が、藤原鎌足以下に命じて、春山がいいか、秋山がいいかを漢詩や歌によって競わせた。このとき額田王が長歌をもってこれを判定している。
冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし
鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど
山を茂(し)み 入りても取らず 草深み
取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては
黄葉(もみぢ)をば 取りてそしのふ 青きをば
置きてぞ嘆く そこし恨めし 秋山われは
歌意は、「春がやって来ると、今まで鳴かなかった鳥もやって来て鳴き始める。咲かなかった花も咲いているが、山は木々が繁るので、入って行って花を手に取ることもできない。草が深いので、折り取って見ることもできない。秋山の木の葉を見るときは、色づいた葉を手に取って賞でる。まだ青い葉はそのままにし、紅葉するのを心待ちにして溜息をつく。そこが残念だが、やはり秋の山が良い、私は」というところか。
もちろんワシャも秋が断然いい。春はスギ花粉で風景も脳もボーッとかすんでしまって楽しくないのである。パッと咲いて、パッと散る桜もいいけれど、日に日に寒くなり、ゆっくりとゆっくりと紅葉、黄葉が進んでいくさまもいとおかし。