チベット人を救えない人類が悲しい

 日本の間延びした平和の中にどっぷりと浸かっていると「暴力」を見失ってしまう危険性がある。
 1983年から『少年ジャンプ』で「北斗の拳」の連載が始まった。その中には強大な力をもつ支配者に虐げられる貧しき民が多数登場する。力を握る者どもに弄ばれ殺されていく弱き人々。虐げられた民を救おうと立ち上がるヒーローのケンシロウ。悪者たちが「ひでぶ」「あべし」「たわば」など、独特の断末魔の悲鳴をあげて倒れる時、溜飲が下がったものである。
 コミックの世界だからこそ、こんな悪がはびこり、罪のない人々が苦しめられる、これは極端にディフォルメされた話……と思うのは甘い。ケンシロウが彷徨う地獄のような近未来よりももっとひどいところがこの地上にはあるのだ。
 コラムニストの勝谷誠彦さんが、写真家の竹沢うるまさんのブログを紹介してくれた。
http://blogs.yahoo.co.jp/zvc00730/archive/2012/11/3
 竹沢さんのブログを読んで、これはこの情報を拡散しなくてはいけないと思った。竹沢さんの抑えに抑えた表現に誇張があるとは感じられない。竹沢さんが文末に言われるように、あとは読んだ人がそれぞれ判断すればいいと思う。
 少なくともワシャは、この現実を一人でも多くの人に知ってもらいたいと考えた。だから情報の拡散に手を貸すものである。

 支那中国の民は哀れである。チベットウイグルの大虐殺を知らされず、文化大革命の大粛清を忘れ、天安門の大殺戮をなかったことにされ、外に敵を求めるためのデマに「南京大虐殺」や「尖閣諸島」で騙され踊らされている。わずか5%の共産党員の特権を守るために、投票権も与えられない。
 あるいはこの人たちも被害者なんだと思う。同情すべき点も多い。しかし、チベットの人々に苛烈な暴力を加えているのも漢人とイコールなのである。

 平成20年の年末、評論家の呉智英さんプレゼンツで、中共プロパガンダ映画の「農奴」を観た。詳細は以下に記してある。
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20081230
 その映画の中では、人民解放軍は「菩薩兵」と呼ばれてまさにケンシロウのような役回りを与えられている。しかし、1963年以降50年にわたりチベットの人々の抵抗が未だに続いていることからも、中共の占領がチベットの解放ではないことはあきらかだ。
 今でもチベットで抗議のための焼身自殺が相次いでる。中共に言わせれば、それもダライ・ラマ十四世が糸を引いているのだそうな。汚職にまみれた共産党幹部と清貧でひたすらチベットの民の幸福を願うダライ・ラマのどちらが正しいのか、そんなことは論じるまでもない。
 今を生きる人類は……いや、もっと限定しよう。今を生きる日本人は、同じ仏教国であるチベットという友好国を見殺しにしてもいいのか。我々の思いなど、国際政治の前にはあまりにも微細だが、それでも何かをしなくてはと、思っている。
 今さら北斗神拳を習うっていうわけにもいかず、ひとまずは常にチベットウイグルに思いを馳せ、そこに虐げられたる民がいるということを絶対に忘れない。そして何かあるごとに、中共の「悪」を喧伝する。とりあえずはそんなことしかできない。情けないけれど。

《「初めは友好的に振る舞い、そのうち暴力的になる」中国の侵略の実態。既成事実を周到に積み重ね、不条理を条理とする……。》
 マイケル・ダナム『中国はいかにチベットを侵略したか』(講談社)の帯書きである。
 中共チベットウイグルを制圧した後、東シナ海、沖縄を始め海洋アジアを狙っている。初めは友好的に、まもなく暴力的に。