捨てない

 昔から「整理整頓」に関していろいろな薀蓄が開陳されてきた。辰巳渚『捨てる技術』(宝島社)に代表されるように「捨てる」ということが重要だと説くものが多い。
 でもね、ワシャは「捨てられない」人である。それは「捨てる」ことを否定するたくさんの経験をしてきたので、モノが捨てられないのじゃ。

 中学生の時に従姉から携帯用の靴ベラをもらった。茶色の人工革が貼ってある安っぽい靴ベラである。
 これがどうにも捨てられない。中学校の頃からすっと机の引き出しに雑多のものと一緒に詰めこまれてあった。きっと大学時代もそこにあったのだろう。だろうというのは、すでに子供机は、雑多なものを入れたまま別棟の倉庫に片づけられていたからである。
 その後、就職をするのだが、その頃からスキーに本腰を入れ始めた。そうするとスキー板のエッジを研いだり、ソールを磨いたりする必要がある。ちょうど、スキーの板や靴を置いていた倉庫にいい高さの子供机があったので、それを作業台にして板磨きを始めた。
 スキーの板を磨くといってもけっこう多くの道具を必要とする。ヤスリやサンドぺーパー、万力、ソール面補修用のハンダゴテなどなど。それらをしまっておくのには子供机の引き出しはちょうどいい。机の引き出しに中学校以来そこに入っていたものを整理して、捨てられないものは段ボールに詰めた。件の靴ベラも引き出しから段ボール箱に移した記憶がある。
 確か……この時に靴ベラを手に取って思案した。
「捨てるべきか捨てざるべきか、それが問題だ」
 このころは靴を履くのに靴ベラを使うなどという上品なことはしなかった。指を使って履くか、靴先をトントンとして強引に履く。靴ベラなど不要だった。でも、捨てられず段ボールの箱に投げ入れたものである。
 整理整頓の名人に言わせれば、10年越しに使っていない靴ベラなど絶対に捨てる対象なんでしょうね。

 ところがある時、ひょんなことからその靴ベラが脚光を浴びるのである。
 ワシャには尊敬する作家がいる。その作家が名古屋の大須演芸場で講演会をやった。その時、ワシャはスタッフとして楽屋やら舞台を走り回っていたものである。ご存知のように大須は舞台で落語などをかける。つまり舞台は土足厳禁だ。だから舞台に上がるためには靴を脱がなければならない。靴を脱いで上がり、下がってきて靴を履く。
 講演会が終わり舞台から下りてきた作家は、下足場で靴ベラを使って靴を履き、靴ひもをむすんだ。それが格好よかった。
 それからワシャは、靴ベラを使って靴を履き、靴ひもはその都度ほどき、結ぶようにした。

 ワシャは職場まで徒歩通勤をしている。徒歩と言っても自転車を押しながら歩く。歩く姿勢が曲がらないようにハンドルのセンター、ヘッドチューブの上あたりを右手で握る。そうすると姿勢がまっすぐになる。それに、ワシャは職場に行くのにも荷物が多い。通常使いのビジネスバッグの他に本や資料を満載したトートバッグを1つ、多い時には2つを自転車にくくりつけている。
 話がずいぶん逸れているが、もう少しおつきあい願いたい。そんな格好で通勤路を歩いているわけだが、ウオーキングを革靴でするのは辛い。やはりウオーキングにはウオーキングシューズがいいのだ。
 そこで通勤時はウオーキングシューズで歩き、出社前に会社の近くの公園のベンチで革靴に履き替えることにした。そのベンチからは池も望める。アヒルが餌付けされているのだろう。人影を感じると何羽も集まってくる。
「餌はないよ」
 アヒルと会話をしながら紅葉のすすむ公園を楽しみ、靴ベラを使って靴を履く。数年前からそういった日課にして以来、自転車に靴ベラを常備しておかなければいけなくなった。だから、自転車の前カゴには中学生の時に従姉からもらった携帯用の靴ベラが今も入っている。そして毎日使っている。
 捨てなくて良かったでしょ。
 長期に使わないモノでも、ある日突然脚光を浴びることもある。だから捨てないほうがいい、そういうこともあるのだ。