熱燗談義

 ううむ、熱燗のおいしい季節になってきた。行きつけの店で、いい酒を上燗につけてもらう。できれば好きな女性にお酌していただければこれに優る美味さはない。
 この熱燗のつけかたに、ワシャは一家の見を持っている、と言っても、受け売りなんだけどね(笑)。

 燗は酒そのものの味に直接影響する最も大切なことだと思っている。量はもちろん一合ずつ。宴会ならいざ知らず、静かに飲む酒は一合徳利、あるいはちろりでの燗付けがいい。
 燗付けの中でも、最初の1本に気をつけよう。熱からずヌルからず、いわゆる上燗でなければならない。その後の2本目、3本目と一本調子ではだめで、少しずつ変化をつけていく。
 昨今は燗付け器なるものができて、常に一定の温度の酒を供給できるようになった。だから、いつ飲んでも同じ熱さなんだけど、それでは美味しくいただけない。
 燗は、飲むほどに、酔うほどに、じわじわと熱くしていくのがよろしい。ここに気遣いができるかどうかで、酒の味が決まる。
 更に飲み進め、酔いが程よく回って来たなと思ったら、燗の温度を徐々に下げていく。このタイミングが難しい。体に酒がまんべんなく回り出すと、そろそろ熱い酒が暑くなる。この時期からは、少しぬるめの燗がいい。
 八代亜紀のヒット曲「舟歌」の冒頭に「お酒はぬるめの燗がいい〜」とある。ということは、この主人公はここが2軒目の店なんだ。もうすでに酒を飲み、体が火照っている。腹も満たされているので肴はいらない。塩の強いあぶりイカをしゃぶりながらぬるめの燗酒を飲む、そんな情景を歌っている。
 そして客が猩々(しょうじょう)のようになってきたら、とどめに熱燗を出す。もうここまで来るとヌル燗ではもどかしくなる。この最後の熱燗が、真の酒飲みを満足させるものであり、中途半端な酒飲みを虎になる前につぶす奥の手なのだそうな。
 もちろんこんな風に熱燗を飲んだことなどない。余程、手慣れたお燗番がいないとこんな風に酒は出てこない。余程の料亭でもここまで気を使うことはないだろう。しかし、そもそも美味い日本酒というのは、こうやって飲むものなのである。かつては、どの料亭にもお燗番の年寄りがいて、じっと湯煎の前で酒の具合を見ていたものだ。彼らの熟練の視覚・嗅覚・触覚が絶妙の温度を決めた。そんな酒文化もそろそろ消えつつある。江戸の庶民は美味い酒を飲んでいたんだろうなぁ、とつくづくうらやましくなる。
 いかんいかんお燗、こんな話を書いていたら朝から一杯やりたくなってしまうではないか。今日もするべきことは山のようにある。夕方の至福の時に思いを馳せつつ、がんばることにしよう。

「人生意を得なばすべからく歓を尽くすべし、金樽をして空しく月に対せしむことなかれ」

 酒中の仙、李白の詩の一節である。