酒のエッセイ

 3日前に作家の吉村昭さんの酒に関するエッセイを取り上げた。それでね、他の人はどうかと思って探してみれば、作家たちはみんな酒のことをいろいろと書き連ねているのであった。

 内田百輭なんかはすごい。『御馳走帖』というエッセイ集に「わが酒歴」と題した話があって、そこには年間一石八斗くらいの酒は飲むと断言している。一升瓶にして180本。1日に換算して5合であるからそれほどの量ではないか。酒飲みの中ではごく品のいいほうであろう。
《強い酒を飲んで酔ふのは外道である。清酒や麦酒なら酔つてもそれ程の事はない。しかしお酒にしろ麦酒にしろ、飲めば矢張り酔ふ。酔ふのはいい心持ちだが、酔つてしまつた後はつまらない。飲んでゐて次第に酔つて来るその移り変はりが一番大切な味はひである。》
 確かにそのとおり。次第に酔いがすすむ過程がおもしろい。だからワシャが1軒で切り上げることが多いのはそのためなんですね。

 池波正太郎も酒豪である。『私が生まれた日』というエッセイに「酒に交われば」という文章がある。そこには、別れた父親と再会し、二人で二升の酒を飲んだことが記されている。そんな池波さん、泥酔したことがないと前置きをしたうえでこう言っている。
《私の場合は、酒をのんでもいても、あたまが冷えているというではない。私は、のんでいて酒がうまくなると、ひかえてしまうのだ。それが、私にとっては、もっともたのしい酒の飲み方である。》
 池波さんの飲み方も品がいい。

 開高健も豪快だ。
《あのころのトリスバーは、ザーッとコップが何十も並べてあって、そこに、あらかじめ氷をガチガチにつめてある。それでトリスのビンをもって、トットトットットッとはしらせる。(中略)それで、一杯五十円くらいだったか、十杯ぐらい飲んで、やっとクラッとくる感じでした。》
 と『オールウェイズ』に書いてあった。

 山田風太郎パーキンソン病になって、それでも酒を止めなかった。そのことを『ぜんぶ余禄』の中に書き残している。
《僕は、パーキンソンの薬など五〜六種類を食後に飲むんだが、あれだけ酒を飲んだら、どれだけ効き目があるんだろうと思うがね。結局、直接にはパーキンソンで死ぬんだけれど、間接的には、僕は酒のために死ぬんだね。(中略)飲まずに半年寿命が延びたって、どうせ半年後に死ぬんだから、そのとき飲まなかったことのほうが、よっぽど後悔するだろうと思う。》
 ううむ、酒の達人たちはすごいね。ワシャは到底そこまでは達していない。酒の小僧といったところである。