9月の歌舞伎講座

 今回のテーマは「荒事・和事」である。南山大学の安田文吉先生は、いろいろな映像をお持ちで、それらを教材に使っての講義は楽しい。團十郎襲名間もないころの「暫(しばらく)」や、扇雀(現藤十郎)の「けいせい仏の原」など貴重な映像を見せてもらった。
 単純に言ってしまえば「荒事」は江戸の歌舞伎であり、「和事」は関西の歌舞伎である。「荒事」は、豪快で超人的な主人公が、大暴れをして勧善懲悪を成す。いかにもきっぷのいい江戸っ子が好みそうな単純明快なお話が多い。
 教材となった「暫」などもとても単純だ。
 鎌倉八幡宮の社頭、悪の巨魁清原武衡(たけひら)が善人を撫で斬りにしようという場面。武衡は藍隈(あいぐま)を施し、いかにも不気味な公家悪を象徴している。家来どもも耳元から三尺はあろうかという三つ編み髭を垂らした男なまず、赤塗り・太っ腹の扮装をした腹出しどもと悪役どもがずらりと居並ぶ。そこに「しばらくしばらくしばらくーップッ」と現れるのがスーパーヒーローの鎌倉権五郎。そのド派手な衣装、恐ろしく長い剣、その剣を一閃すると仕丁たちの首がゴロゴロと飛ぶ。まるで漫画である。
 物語と言っても、これだけでこの後、権五郎は悠々と花道を去っていく。こんなユーモラスな舞台が元禄時代にすでに完成されていたというのが驚きである。
 一方、和事の「けいせい仏の原」は、まったりとした上方言葉で物語が展開していく。こちらのほうもストーリーは単純だ。身分のある主人公(美男で善人)が、傾城(女郎)と恋仲になり、悪人の企みにより勘当され落魄し苦労をする。だが最終的には、悪人をやっつけて傾城ともゴールインしてめでたしめでたしとなる。「けいせい仏の原」の主人公などは3人の女とめでたしめでたしとなるのだからたまりませんぞ。
 ちょうど同時期に東と西で、両極端な歌舞伎狂言が人気を博したというのもおもしろい現象である。
ワシャは三河生まれの江戸っ子なので、やはり「荒事」のほうがしっくりとくる。それに関西歌舞伎の第一人者である坂田藤十郎が少々太り気味である。やはり色男、絶世の美女を演じるなら、歌右衛門玉三郎のように摂生しなければいけない。名前がビッグネームだからと、体までビッグにする必要はない。

 歌舞伎講座の後、からくり人形の展示を見て、その後、友だちと居酒屋で歌舞伎談義に花を咲かせる。あ〜楽しかった。