猿と猫

 かつて、猿と猫は、同じ家にペットとして飼われていました。とても仲が良く、一緒に遊んでおりました。彼らがもっとも興味のあるものは食べ物です。食べ物を入手するためにはなんでもやりました。

 ある日、彼らが炉をのぞくと、煎られている栗の実を見つけました。猫と猿はそれを眺めながら火の側に座っています。それをどうやって手に入れるか、思案をしているのです。

「ぼくが取ってもいいんだ」
と、ずる賢い猿が言います。
「でも、こういうことは、猫君の方が巧い。だから炉の外に出してくれ。そうしたら、ぼくが分けるから」

 猫は猿の言葉に、なんとなくその気になりました。このため慎重に前足で灰を払いのけて、栗の実を半分火の中から外に出し、前足に火傷を負いながらも取り出すことに成功をしました。
 栗が炉の外に出ると、猿はそれを拾って全部食べてしまいましたとさ。

 イソップ物語の「猿と猫」という寓話である。「火中の栗を拾う」はこの話から出ている。「他人の利益のために、あえて危険を冒す愚かさを笑ったもの」とも「口のうまい者は、言葉をろうして、自分が得をしようする」とかの寓意を含んでいる。

 あれだけ大騒ぎをしたにも関わらず、細野豪志環境大臣は、火中の栗を拾わなかった。おべっかを使う猿どもには騙されなかったということか。どちらにしても民主党は泥舟だ。細野が民主党の代表になったところで、いずれは崩壊して沈むことは目に見えている。あるいは逃げ出して正解なのかもしれない。

 そうそう、泥舟の話というと、「かちかち山」を思い出すでしょ。でもね、実は「かちかち山」の話ではなく、岩手県に伝わる「熊と兎」という昔話が原典となっている。今、我々が「かちかち山」として読んでいる話は、「かちかち山」と「熊と兎」が混在した話なのである。

 イソップの寓話に「川の中にフンをしたラクダ」という話がある。

 ラクダが流れの急な川を渡っていた。ラクダはフンをしたが、そのフンがたちまち自分の前を速い流れに運ばれて行くのを見て叫んでいった。「これは何としたことだ。おれの尻にあったものが、おれより先に行くとは」
 これだけの話である。この話が意味することは、くだらない人が立派なかしこい人をさしおいて政治を行う国のことをたとえているんだとさ。なーんだ日本のことかいな。