善界

 昨日は丸の内界隈を散策した。丸の内と言っても、東京丸の内ではない。名古屋の丸の内である。丸は城郭のことを指し、丸の内は城郭の内部ということなので、ある規模以上の城下町ならば大なり小なりこの地名は見受けられる。
 名古屋であれば、名古屋城の南、外堀通りと桜通りに挟まれた区域が丸の内である。
 ただ、広義の「丸の内」ということになると、エリアはもう少し広くなる。東は、名古屋医療センターから、市役所、愛知県庁までの区域、北は名城公園まで、丸の内と考えるのがよいのではないか。
 さて、その広義の丸の内をしばし散策した。雨上がりのせいか、都市の埃が洗われて、瑞々しい翠が匂い立つようだ。このあたりは名古屋でも樹木の多い地域で、日陰を選んで快適な散歩ができる。
 まず地下鉄の市役所駅を北に上がって、そのまま大津通り沿いの歩道を北上する。歩道の左手は内堀(空堀)で、天下普請の石垣が立ちはだかっている。その向こうが二の丸で、二の丸の翠嵐越しに天守閣を望む。
 そのまま名城公園に入って、藤棚の歩道を西に歩く。ここでは天守閣が南に見える。いわゆる「裏天守」であり、それもなかなか風情がある。
 肌感覚として歴史とか文化を知らぬヤンキーどもに、むざむざと焼かれてしまったことは、惜しまれてならない。無知なB29搭乗兵は、名古屋城の威容を目の当たりにして、面白半分に、あるいは嫉妬もあったのかもしれないが、歴史の破壊に走ったのであろう。本質的には、バーミヤンで石の大仏を破壊した連中と大差のない愚かさといっていい。
 そして愚か者は、日本人にもいる。天守閣を再建するまではいい。資金的なこともあって鉄筋コンクリートでの再築もやむを得ないだろう。しかし、その後に天守閣の横っ腹に突っ込むように作った外付けのエレベータはいただけない。いくらバリアフリーを叫ぶ声があったって、歴史的に存在しなかった外部エレベータなど造り着けるものではない。そういうことを市側に要求した連中も愚かなら、それを鵜呑みにした名古屋市の関係者もバカだ。
 話を元に戻す。
 裏天守を眺めながら、水堀沿いを西へ、戌亥隅櫓(いぬいすみやぐら)を回る込むかたちで、ナゴヤキャッスル前の道路を南に下がる。そしてようやく目的地の名古屋能楽堂に到着した。
 市役所駅からまっすぐに出来町通を歩けば700m程なのだが、ぐるりと大回りをしたので2kmのウオーキングになった。
 ここまでが前置きである。

 今朝の朝日新聞「私の視点」を、元石油資源開発取締役が書いている。「尖閣諸島問題」と題し、とち狂った論を展開する。要約する。
「日本巡視船への体当たり事件で悪化した日中両国の関係が沈静化してきたところで、石原都知事の「尖閣購入」発言はいかがなものか。そんなことで角を突き合わせている状況で日本が尖閣周辺で資源調査や試掘を強行すれば、日中戦争になる可能性がある。平和のうちに尖閣周辺で両国が仲良く資源開発ができるよう政治環境を整えることが重要だ。石原都知事も分泌と言論を本職とするならば、尖閣諸島が日本の領土であることを中国に納得させよ。そんな領土原理主義は捨て、共存できる道を探そうではないか」
 アホか。
 長年にわたり日本政府は、中国の棚上げ理論に惑わされ、なんの政治的環境を作らずに放置してきただけではないか。長期の棚上げの結果、尖閣諸島アンタッチャブルなタブーとされ、国民の目から遠ざけられてきた。そんな根の深い問題を一朝一夕に整えることなど不可能である。
 いいか、尖閣諸島は日本固有の領土なのである。そこで資源探査や試掘をするのに、なぜ、ここまで中国に卑屈にならなければならないのか。自宅の庭に穴を掘るのに、隣家の許可を得なければやれないなんてことはないですよね。だが、このオッサンは、自分の地所を隣家と共存区域にしようと言っている。丹羽中国大使を筆頭にこういう中国よりの経済人が多いことで、どれほど日本の国益が失われたことだろう。

 さて、昨日の能楽堂の出し物は、季節柄で「杜若(かきつばた)」と、表題の「善界」である。「ぜがい」と読む。お能の演目の一つで、面としては大癋見(おおべしみ)
http://nohmask.kikujido.com/kishin/obeshimi1.html
を使う。
 物語は、大唐国の天狗の善界坊が、粟散辺地(そくさんへんじ)の小国――大国の周辺で粟粒が散ったほどの小国、物の数にも入らぬちっぽけな日本国――で、仏法が盛んになっているので、それを妨げてやろうと京都愛宕山にやってくる。そこを根城にして、比叡山に襲い掛かるのだが、飯室僧正が善界坊の前に立ちはだかる。相手は大唐の仏法を破壊尽くした大天魔である。僧正の旗色が悪くなってくる。そこに不動明王十二天、また、岩清水、北野、上加茂、下加茂の神々も協力し、唐からの侵略者を追い返すことに成功する。
 というような筋立てである。お能の最後、僧正の祈りで、善界坊を追い払ったとき、とても爽快な気持ちになった。よく頑張ったと僧正に惜しみない拍手を送ったのだった。あ〜面白かった。

 古代においても日本は一致協力して理不尽な大唐国の大天狗と戦ってきたのだ。ふぬけの経済人の妄言に惑わされることなく、日本人はもっと毅然と生きようではあ〜りませんか。