割り箸から考えた

「おう、もうできたかい、ばかに早(はえ)えじゃねえか。こうじゃなくっちゃいけねえや。こちとら江戸っ子だ。気がみじけえから、あつらえものの遅(おせ)えってのはいらいらしてくらぁ。ああ、ありがとうありがとう。おや、偉いなぁ、おめえんとこじゃあ割り箸を使ってるな。うれしいねえ。割ってある箸や塗り箸なんてのは気持ちが悪くっていけねえや。誰が使ったかわからねえんだから……」
 落語通ならすぐ判る、ご存知「時そば」の冒頭の部分である。ペラペラとよく喋る客が、蕎麦屋を手当たり次第に褒めちぎり、一文ごまかすという一席。
 上手な落語家が「時そば」を演ると、割り箸を割る仕草も、ぷ〜んと木の香が漂ってくるようでした。

 2006年ごろだったか、割り箸排斥運動というものがおきたでしょ。環境原理主義者を中心にして大騒ぎになった。
「使い捨ての割り箸は地球温暖化の元凶、森林破壊の最たるものだ」
 こんな論調でしたね。このために、食堂からは割り箸が消え、味気ないプラスチックの箸に置き替わった。真新しい割り箸を歯に噛んで「パン!」と割る、そんな楽しみも風情もなくなってしまった。
 環境原理主義者の大騒ぎがおさまって、その後にようやく冷静で客観的にモノを見る普通の人びとが環境について考えはじめた。「はてさて割り箸というシロモノが、どれほど環境に負荷をかけているのだろうか?」と……。
 割り箸には、間伐材が使われているから、森林資源の破壊にはつながっていない。そういう話もある。国内産の割り箸に関しては正しい。しかし、国内で使用されている割り箸の90%以上が支那中国から輸入したものである。つまり国内の間伐材の利用にはさしたる効果をあげておらず、中国の森林破壊をしているということになるらしい。
 しかし、ここにも客観的に見ておきたいことはある。中国も、割り箸を製造するため闇雲に森林伐採をしているわけではない。伐採した後に植林をすれば、そこに新たな森ができ、その森がCO2を再び吸収してくれる。木材については、カーボンニュートラルという考え方もできるので、一概に環境破壊を叫ぶのは間違っている。
 反対に、割り箸を敵視する人々が喜々として使っているプラスチック箸は、石油由来の製品であり、地中内に固定されていたCO2を地表に出してしまったということから言えば、こちらのほうがはるかに環境破壊をしていることになる。

 声の大きいアジテーターや右へ倣えのマスコミに扇動され、大衆が大きく動かされることがある。ヒトラーに引っ張られたドイツ人もそうだったし、「欲しがりません勝つまでは」などと声高に叫んでいた国防婦人会の皆さんもそうだった。
 ワシャらだってその人たちを笑えない。未だに、地球は温暖化していると思っている人は山ほどいるし、朝日新聞天声人語を文章の神様が書いていると思っている人も多い。

 斜に構え、天邪鬼に、へそ曲がりに、生きてみるのも悪くないわさ。