宴会で読書論

 夕べ、ちょっとした宴会があった。場所は東海道五十三次の宿場町だった池鯉鮒(ちりゅう)というところ。国道1号沿いの大きなドライブインの2階が宴会場だった。リーズナブルでよかったが、従業員が外国人ばかりなのには閉口した。
 宴会の始まる前、薬を飲もうと思って、通りかかった従業員に「水をください」と声をかけた。声をかけてから、あらためて顔を見ると、おっと、日本人ではなかった。顔立ちからするとベトナム人のように見える。言葉が通じないのか反応が薄い。もう一度「水をください」と言うと、驚いた表情を見せて裏方に引っ込んで、汚いコップで水をもってきてくれた。ありがとう。

 宴が始まると、彼女たちがせわしなく宴会場を行き来する。いわゆるお運びさんである。愛想もなく、ビールすら持ってきてくれないが、異国で頑張っているんだなぁと思った。
 それにしても、こんなところにまで外国人が入り込んでいるのか。人件費削減の一環なのだろうが、この国の労働環境の変化を目の当たりにしたような気がする。日本人はどこに行ってしまったのだろうか。

 宴がはねて、名鉄知立駅に出る。ワシャは一軒目で充分飲み足りていたのだが、若い連中が元気だ。もう一軒行こうということになり、その流れに巻き込まれてしまったわい。駅近くの居酒屋に十人ほどで繰り込んで、再び「かんぱ〜い」ということになった。でも、ドライブインよりもマシなおつまみが出てきたのでホッとした。あ〜楽しかった。

 一軒目でも二軒目でもそうなのだが、若い人となるべく喋るようにしていた。そしてバカの一つ覚えなのだが、読書の話をした。なぜかというと、ワシャの会社でもそうなのだが、どうも若手の読書量が少ないような気がしているからである。だから、ワシャの事務所の机の上にはいつも本を置いておく。それを部下が見て、「あ、課長はこんな本読んでいるんだ」と思ってもらい、興味がわいて、読みたくなればもっけの幸い。
 夕べも他社の若い人と話していて、読書量の話になった。1月以降の、ワシャの本の購入冊数を伝えると、少し引かれてしまった。でもね、ワシャの読書会のメンバーの中では、さしたる冊数ではない。みんな月に20〜30冊くらいは平気で読んでいる。
 おどかすわけではないが、ワシャの師匠などは、月に200冊を読む。それに比べれば、20冊程度の読書などわずかな量でしかない。ようするに読書習慣をつけてしまえば、本はどんどん読めるということである。

 4日前に書店に寄った。
佐藤優功利主義者の読書術』(新潮文庫
佐藤優『帝国の時代をどう生きるか』(角川oneテーマ21
植草一秀『消費増税亡国論』(飛鳥新社
村上もとか村上もとかと読む坂口安吾』(宝島社)
大竹敏之『名古屋の居酒屋』(リベラル社)
小川豊『あぶない地名』(三一書房
 この他に、雑誌を3誌買った。でも、今朝の時点であらかた目をとおし付箋をベタベタと貼り終わっている。そんなことなのだ。

 書誌学者の林望さんは言う。
《本を読む・読まないという行為は、その人の品格に関わってくるのではないかと思う。品格に読書は関係ないと否定する人もいるかもしれない。だが、本を読んでいる人が車の中に幼児を置いたままパチンコに興じるとは思えないし、電車の中で平気で化粧をするとも考えづらい。》
 自分をほんの少し向上させるために、気楽な気持ちで本のページを開いてみましょうよ。