政治家の殺し方 ―地方政治の闇―

 中田宏『政治家の殺し方』(幻冬舎)を呼んだ。中田さんに関する女性スキャンダルの裏側が見えたようでおもしろかった。
 中田さんを陥れた誹謗中傷の罠は2008年12月発売の「週刊現代」から始まった。その後、中田さんの不倫相手と称する女まで登場し、こともあろうに横浜市役所で記者会見をするという周到さである。この一連の手配りをしたのが、横浜市議会のAという議員だった。
 このA議員が気になるでしょ。ネットで検索してみると、あっという間にA議員が、太田正孝市議であることが特定できる。この人です。
http://www.city.yokohama.lg.jp/shikai/meibo/meibo13.html#anchor18isogo
 ワシャは少々人相を観る。
 ふうむ、こういう人相の人か……。恐ろしいほど想像通りだった。地方議員を長く務める人にありがちなタイプと言っていい。
 さて、この人の人相である。特徴的なのは目が小さいこと。残念ながら深く思索をするタイプの象眼(切れ長の目)ではない。どちらかというと猜疑心が強く吝嗇の傾向があると見た。あわせて、目に誠実さが感じられない。ながく利権構造の中でおいしい思いをしていると、こんな目に成り下がる。
 また、ベージュのスーツは、この年齢にしては少し派手だろう。でも、お洒落とも言える。他の写真を見ると、例えばセルビア大使館に招かれたときには蝶タイにタキシードを着ている。他の人が普通のスーツに普通のネクタイだというのに。少しTPOが解らない人かもしれない。

 この人、「日刊サイゾー」で中田さんに反論している。
 下記をクリックして、下方にスクロールしていくと、「A市議のインタビュー」というのあるので、それをクリックすると読めます。
http://wiki.livedoor.jp/jskana/d/%C3%E6%C5%C4%B9%A8%C1%B0%B2%A3%C9%CD%BB%D4%C4%B9%20%C3%F8%BD%F1%20%C0%AF%BC%A3%B2%C8%A4%CE%BB%A6%A4%B7%CA%FD#
 まず、太田市議の反論を検証したい。
 太田市議が、どこから連れてきたのかわからない元ホステスに「市長の愛人です」と記者会見をさせた。これは事実。で、この元ホステスが「結婚の約束をしたのに結婚してくれなかった」ことを訴えた。結婚詐欺だというのだ。ところがこの裁判は元ホステス側、つまり太田市議が敗けている。ところがインタビューの中で太田市議は、こう弁明している。
「Nさんは愛人関係にあった中田氏が結婚の約束をしたのに守らなかった、つまり"結婚詐欺"だということで訴えたわけです。つまり、裁判で争われたのは中田氏が結婚詐欺を行ったかどうかであり、裁判に勝訴して結婚詐欺の事実がなかったと認定されただけで、愛人関係にはなかったという点が法的に証明されたわけじゃないんですよ」
 争点は「結婚詐欺」だった。だから敗訴しても、「愛人関係」がなかったことにはならない、と言っている。
 そして、元ホステスは「ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル」で暮らしていたと騙っている。これに対して中田さんはこう反論をしている。
《ドアマンが人の顔を確認するような横浜を代表する高級ホテルに、なぜ私が女性と一緒に行くことができるのか。》
 これに応じ、太田市議はこう言う。
「そんな目立つ場所で密会していたから、多くの人たちに目撃されているんだって(笑)。でも、さすがに報道があってからは、密会場所を『ホテルニューグランド』に替えたようですけどね。これは、私自身がニューグランドの従業員から聞いた話ですから間違いないですよ」
 ここに問題がある。多くの人たちに目撃されているならば、その目撃者たちを出せ。元ホステスの証言はことごとく嘘だったことが証明されている。太田市議が、その「多くの目撃者」を知っているなら、証言台に立たせればいいだけのことだが、それはしないんだね。
 それから、「密会場所を替えた」と発言しているが、いくらなんでも中田さんは、そこまで馬鹿じゃない。この捏造報道が真実だったとしても、大横浜の市長であるわけだから、間違いなく自粛する。ホテルを替えるなどという中途半端な手を使うまい。そんな間抜けなことをするのは、利権構造の甘い汁を吸って地方政治を壟断するエロオヤジだけだって(笑)。
 そして、ホテル替えの根拠が、従業員からの伝聞だというのだから情けない。このあたりでタヌキのしっぽが見えてくる。
 インタビュアーが「A市議って太田さんでしょ」と追及すると「いやいや違います」と言いながら、誘導されて、あっさりとA市議になって答えている。ずる賢いけれど地頭は悪そうだ。

 太田正孝市議、そうは言っても刻苦勉励の人である(笑)。1945年生まれで、中学を卒業後、日本鋼管鶴見造船所養成校に入っている。いずれ造船所の工員になるはずだった。3年後、なにを思ったか神奈川県の職員になる。入ったばかりの県職員として雑用をこなしながら定時制高校に通い卒業する。その後、中央大学法学部通信制に進むが中退している。県職のほうも高校を卒業して1年で辞し、26歳で横浜市議選に打って出た。被選挙権を得て、すぐに政治家に転身するべく動いているから、かなり早い段階から政治への野望を持っていたのだろう。
 残念ながら、26歳の挑戦は「落」と出てしまった。ところが太田青年はくじけない。雌伏四年、次の市議選にも立候補する。すでに30歳になっていた。ところが、よほど勝利の女神に見放されているのか、ここで二度目の落選を喫する。普通はここで諦める。しかし、太田青年はただの男ではなかった。再び雌伏四年、あちこち根回しをしたんでしょうね。ついに念願がかなって1979年34歳で横浜市議になる。そこから順調に期数を重ねていく。
 6期目の2年目、56歳のときに参議院議員選挙に打って出るが、これはダメだった。しかし、こんなことで諦めるタマではない。2年を忍従し、恥も外聞もかなぐり捨てて、奈奈たび(笑)横浜市議に当選し市の政界に戻ってくる。その後、8、9と期数を重ね横浜市議会きっての重鎮になっている。ご苦労様。

 中田市長が市政に登場するのと、太田市議が議会に返り咲くのが、ほぼ同時期だった。かたや新進気鋭の若き市長は利権構造にメスを入れようと腕まくりをして登場する。一方は6期にわたって横浜の利権構造の中で生き抜いてきたベテラン市議である。対立しない方がおかしい。
 今でこそ、橋下大阪市長の獅子奮迅の活躍で、地方利権の構造が見え始めた。また、厚生労働省の村木局長が陥れられた捏造事件などから、マスコミや検察が声高に打擲することが必ずしも正義ではないということも知られてきた。
 しかし、2008年当時は、利権構造やマスコミの裏側にまで思いが及ぶ市民は少なかった。そんな中での中田さんの孤軍奮闘が縷々書いてあっておもしろい。


 
 さあて、中田さんと太田市議、どっちが正しいのでしょうか(笑)。