昨日は新城市に出かけていた。新城といっても広うござんす。新城のどこに行っていたかというと、いわゆる豊川水系の新城・鳳来ではなく、作手高原の方に行ってきた。
たまたま、業界の交流会と、今、「山城巡りプロモーションツアー」という企画を実施中だったので参加した。
新城にはたくさんの城がある。もっとも有名な城は、長篠合戦の舞台となった長篠城だろう。そして、武田信玄が狙撃された城が野田城も知っている人は知っている。その他にも宇利城、大野田城、新城城、和田城、亀山城、古宮城、川尻城、菅沼本城、柿本城と城址が点在し、城跡マニアにはこたえられまへんで。
ワシャは、柿本城以外はみんな行っている。古宮城にもかなり以前ではあるが立ち寄った。しかし、夏草と虫に阻まれ、外観からしか見ていない。だから、当日(昨日)の山巡りが古宮城と聞いて、飛びつくように参加した。
この古宮城、城址なので天守閣も櫓もない。あるのは、杉のうっそうと生い茂った山があるばかりである。外から見ればこんもりとした森に見える。しかし、生半可な城ではない。一歩、城の中に足を踏み入れるとそこは驚愕の世界だった。
古宮城、分類は平山城になる。いわゆる平らな土地にある起伏を利用して城を構える構造である。有名どころでは彦根城など。
ワシャのつまらない説明を聞いても時間の無駄なので、武蔵の五遁さんの書いたこちらをご覧いただければよく解る。
http://tutinosiro.blog83.fc2.com/blog-entry-1055.html
とくに下方に2/3ほどページダウンしていただくと、イメージ図があるがこれがなかなか優れもので解かりやすい。南北200m東西250mの戦国期城郭では規模の大きいものとなっている。それもそのはずで、甲州武田はこの城をもって東三河のおさえにしようと考えていたふしがある。だから、これほどまでに堅牢な城を築く必要があった。
当日、同行していただいた研究者の方も「武田築城術の粋を集めた城」と絶賛していた。なにしろ攻めにくい縄張りで、この城に500ほどの兵がこもれば、おそらく3000程度ではおちないだろう。攻め手側の立場で城を観ると、かなり危険な仕組みになっている。
昨日は、風が強かった。これは作手特有のものだそうで、地元では「婆飛ばし」と呼ばれる北風である。このために古宮城を2時間ほどかけてまわったのだが、これが寒かった。でも、とても勉強になった半日だった。
そうだ。今年の秋にゆく東京の仲間との城巡りは作手高原城巡りにしようっと。