安城落語会

 昨夜、地元で落語会。出演は瀧川鯉昇(りしょう)、柳家三三(さんざ)など。
 鯉昇はあいかわらず、まったりとした落語で会場を沸かせる。ワシャはこの人の力の入らない落語が好きだ。グダーッとした口調で、経済学でいうこところの8割2割の法則、いわゆるパレートの法則を真面目に説くんですが、これがなぜかおかしい。
 会場で携帯が鳴っても、ビクともするものではありません。平然と、淡々と、グダグダと、高座をつとめる。
 今日の噺は「時そば」だった。季節もどんぴしゃり、ズルズルッと蕎麦を食う鯉昇に拍手が起きる。今回も鯉昇は噺をアレンジした。「時そば」には、都合2軒の蕎麦屋が登場するのだが、最初の夜の蕎麦屋を、なんと東南アジアのハーフに仕立て上げた。そもそもそんなのが江戸の町にいるわきゃぁねえんだが、むちゃくちゃな設定すぎて大笑いだ。その上に、このハーフの蕎麦屋が蕎麦が嫌いで、「じゃぁなにが好きなんだ?」とたずねると、「ココナッツミルク」が好きだと答える。
 そこで「時そば」の支払いの段となる。

「勘定してくんな。いくらだい」
「十六文で」
「おう、手ぇ出しな。いくぜ、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、おい、おめえの好きな甘味はなんだった?」
「ココナッツ」
「とう、じゅういち、じゅうに……」

 ううむ、そうきたか。
 しかし、鯉昇、これだけでは終わらない。
 二日目の蕎麦屋である。看板に「蕎麦処 ベートーベン」と書いてある。もう、むちゃくちゃな設定なんだが、鯉昇だから仕方がない。箸は、割りばしの使いまわしで、釘抜きみたく反っている。どんぶりの縁は欠けまくって鋸の刃のようだ。竹輪はってえと、鉋で削ったほど薄い。
「おめぇのところは蕎麦屋というより大工だな。お!大工だから第九、だから屋号がベートーベンというわけか」
 おあとがよろしいようで。

 さて、三三である。三三は若手真打の中でもホープと言っていい。枕で、林家正蔵、三平が下手だという話をした。そんなことは三三が言うまでもなく、落語を知っている客なら周知の事実である。とくに三平のひどさは、いかんともし難い。今後、努めて精進しないと落語家としての未来はないだろう。
 そんな話はどうでもいい。三三である。噺は「妾馬(めかうま)」である。別題を「八五郎出世」とも言う。分類としては「大名噺」に入ってくる。要は、八五郎の妹が大名に見初められ側室となる。めでたくお世継ぎをあげ、お方様という身分になってしまう。八五郎は博打にうつつをぬかす下世話な男だが、妹が「兄に会いたい」ということで、大名屋敷に召し出される羽目におちいる。この時の大名、重役、八五郎のやりとりがおもしろい。
 三三は姿がいい。落語家というより歌舞伎役者のようである。八五郎のべらんめい調は、菊之助の舞台を聴いているようだった。この人、ずいぶん歌舞伎に通って勉強しているようだ。
 師匠は小三治である。その小三治が、三三の真打記念公演の席でこんなことを言った。
「三三は落語には真面目に取り組んでいるし、そこそこできる。でも、そんなことより、三三が『どんな人間か』ということが噺に出てこなければいけない。人間としての深みがあってこその落語であり、そこが三三には欠けている」
 昨夜の高座を見て、ワシャもそう思った。まだ、三三、鯉昇ほどに人間が出ていない。それでもね、まだ37歳の若さである。これから枯れてきてなんぼの落語会、先々、大化けをする可能性もありと睨んでいる。

 地元の落語会は40年近く続いている。なんとその初回は、立川談志だった。そして20周年のときにも談志が三河まで足を運んで、この田舎町の高座に上がったのである。残念ながら、そのころワルシャワはまだまだ枯れておらず、談志の高座を聴くことは叶わなかったが、今、思えば惜しいことをした。