つながっていくのがうれしい

 北海道の友人からメールが入った。それによれば、すでにオホーツク海沿岸ではマイナス19度を記録しているという。温暖な東海地方に住むワシャには想像もつかないが、少しでも温まってもらおうと味噌煮込みうどんを送っておいた。これもつながりだわさ。

 ネットでやっている「古典読書会」も楽しい。これもつながり。今月の課題図書は、新潮古典文学アルバム11『百人一首』(新潮社)だ。もちろん、すでに入手している。

 ワシャの家のトイレ(以下はクーラーと呼ぶ)には、くもん式百人一首カード』(くもん出版
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%8F%E3%82%82%E3%82%93%E5%BC%8F%E3%81%AE%E7%99%BE%E4%BA%BA%E4%B8%80%E9%A6%96%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89-%E4%B8%8A%E5%B7%BB%E2%80%95%E5%B9%BC%E5%85%90%E3%81%8B%E3%82%89/dp/4875768184
が常備してある。それぞれの歌の絵を20人の画家が競って描いている。これが美しい。だから、季節ごとに数葉をクーラーの書棚の上に飾って楽しんでいる。
 今は、少し季節が外れたが、「秋の田のかりほの庵の苫を荒み……」、それに「田子の浦にうち出でてみれば白妙の……」「淡路島通う千鳥の鳴く声に……」「山里は冬ぞ寂しさまさりける……」が並ぶ。
 画家は、天智天皇を清水耕蔵さんが描いている。絵のタッチはこんな感じです。
http://www.ehonnavi.net/ehon/14662/%E3%81%98%E3%81%9E%E3%81%86%E3%81%AE%E3%81%B5%E3%81%97%E3%81%8E%E3%81%AA%E3%81%AF%E3%81%95%E3%81%BF/
赤人が津田櫓冬さん
http://www.ehonnavi.net/ehon/4194/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%81%8C%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%9A%E3%81%A0%E3%82%88/
源兼昌が篠崎三朗さん
http://www.ehonnavi.net/ehon/17541/%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%BE%E3%81%99/
 源宗于(むねゆき)が井上洋介さん
http://www.ehonnavi.net/ehon/37626/%E3%81%BC%E3%81%8F/
である。

 話が大きく逸れているるが、要するにクーラーで『百人一首』(新潮社)を読み始めたのだ。そうすれば当然、「秋の田のかりほの庵の苫を荒み……」から始まりますわなぁ。そこで、チラと棚に目を移せば、騎乗の人物が従者を引き連れて苫屋の前に立っているくもんカードが見える。
「ああ、これが天智天皇だった」
 クーラーの中で納得するワルシャワであった。
 読み進めれば、二首目は、持統天皇である。
「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山」
 春のまほろばもいい。ただし、杉の花粉が飛んでいなければの話だが……。

 書庫にもどって、「さて、今日の日記は何を書くべい」といろいろなネタ帳をひっくり返していると、持統天皇が大宝2年(702)12月22日に死去した事実に突き当たった。
 持統天皇は、天武天皇の皇后であった。しかし、自らの息子の草壁皇子に権力の継承をするべく暗躍する。そして、天智、天武という二人の英雄に愛された大津皇子を、謀殺してしまう。そうなれば権力は必然的に草壁皇子に転がり込むはずだった。しかし、運命は持統に微笑まない。繊細な皇子は大津皇子の怨霊を恐れ、神経を病んでしまうのである。結局、草壁皇子は、そのことが原因で死ぬ。我が子のために良かれと思って、手を血に染めた母であったが、悲しいかな、それは裏目に出てしまった。
 ところが、持統は諦めない。今度は、草壁の子、つまり自らの孫にあたる高市皇子皇位を継承しようと陰謀をめぐらす。それは功を奏し、高市は42代の文武天皇になるわけだが、天智の娘で天武の妻でもあった持統は、その生涯の大半を古代の宮廷闘争の中に身を置きつづけたのである。はたしてそれが持統にとってよかったかどうか、それはわからない。
 そんな猛女が詠んだ歌がこれである。
「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山」
 史実からイメージする持統天皇と、この美しい歌のギャップが、また楽しからずや。