12月23日の朝日新聞「声」の欄、先頭が「慰安婦の像に心の訴えを聞いて」という43歳会社員からの投稿である。書き出しはこうだ。
《在韓日本大使館の前に設置された従軍慰安婦の記念像について日本政府が遺憾の意を表し、撤去を要請したとのニュースを聞き、違和感を覚えています。》
そして、日本の政治に関わる人々は、当事者の実体験や気持ちに思いをはせろ、慰安婦となった少女たちの悲しみ、悔しさ、心の傷を思いやれ、と声高に主張する。
《訴えても訴え切れないほどの深い悲しみが少女像の形に昇華されたものではないかと感じています。》
ふ〜ん。
この手の人たちは、必ず、結びが世界に向かう。
《この像を韓国の人々と共に守り、花を捧げましょう。私たちは、今後二度とこのような悲しい戦争を、そして人としてこのような過ちを繰り返さないと世界に向けて誓うべきではないでしょうか。》
どうぞ、お好きなように。
松井やより、岡崎トミ子、田嶋陽子系の、祈ったり誓ったりすれば世界は平和になると信じている投稿者は、歴史にまっすぐ向き合うという姿勢が欠落している。「慰安婦」という目先のことだけに拘泥し、全体を見るということができていない。
戦争で理不尽な目にあったのは、残念ながら「慰安婦」だけではない。兵士だって、市井に生きる庶民だって、それぞれが国際政治に巻き込まれて理不尽な目に遭っているのである。葉の一枚を凝視するのではなく森全体を見てモノを言え。
この「慰安婦」の問題は、いろいろな嘘や問題をはらんでいることを以前にも言った。
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20111218/1324170387
そもそも、この嘘が、韓国の梁順任という反日の詐欺師から始まったことを忘れてはいけない。梁順任が、元慰安婦らの弱みに付け込んで、「裁判を起こして日本から補償金を取ってやる」と持ち掛けて会費などを集めて着服したのだ。このことで梁順任は韓国警察に詐欺罪で摘発されている。詐欺師の言説に朝日新聞がのっかったというのが、いわゆる「従軍慰安婦問題」なのである。
実際に慰安婦はいた。これは歴史的事実としてある。もっとはっきり言えば、戦後の日本にだっていた。売春防止法が成立する昭和33年までは、売春は合法だったのだから、日本中に慰安婦なるものは合法的に存在していた。さらに言えば、韓国にだって、戦後も長きにわたってずっと存在していた。
つい20年くらい前でさえ「キーセンパーティー」に、それこそ世界中から男たちが韓国を訪なっていた。
それが戦前には、合法的にあったというだけの話で、需要のあるところに供給が必要になり、女衒(ぜげん)という商売が成り立っていたのである。いいですか。朝鮮半島の農村から、拉致や誘拐をして慰安婦を確保していた女衒がいればこれは犯罪者である。しかし、合法的に親と取引をして少女を集めていた女衒は、後ろ指をさされつつも、正当な職業だった。女衒が貧しい農村を回って歩く。そんな悲劇は、当時、朝鮮半島ばかりではなく、日本全国でも起きていた。
反日の詐欺師、嘘つきどもは、日本軍が朝鮮半島の農村部にあらわれ、少女をを獣のように追いまわし、拉致して慰安婦にしたと言っている。ところが、その証言にはなんの根拠もないのである。軍の資料から出てくるのは、軍が適正に慰安婦、慰安所に対処していたという証拠しか出てこない。
考えてみれば、日本軍なのである。世界に冠たる統率のとれた軍隊なのだ。支那兵やロシア兵ならば、そういった少女狩りや軍兵による集団強姦もあっただろう。しかし、日本は世界の中でもっとも穏やかな国柄をもっている。そのことから思いをはせれば、日本軍全体に通じる「静かさ」のようなものが見えてくるに違いない。
ほら、東日本大震災においても、暴動や混乱がなかったでしょ。他の国ならば、間違いなく大混乱になっていただろうが、そうならないのが日本人の持つ特性なのである。それは現在も70年前も変わらない。いやいや、かつてのほうがもっと凛としていただろう。
さてと、これだけ前置きをすれば、事実無根の「慰安婦」で、日本に対して嫌がらせをすることが、間違っているということが理解していただけたのではないか。その上で本論に移りたい。
在韓日本大使館の前に造られた「従軍慰安婦像」は、若い頃に何らかの事情があって売春業に従事させられていた少女の像でしかない。そんなものを日本国を代表する日本大使館の前に設置をするとは、国際的礼儀に反する、ということなのである。
「祈れば世界は平和だわ〜☆☆☆」
と、目をキラキラさせる前に、日本人としての矜恃を持て。
そして、もっとも性質の悪いのが「朝日新聞」である。嘘の片棒を担ぎ、それまで一度も話題にならなかった問題を、あたかも存在していたかのように、新聞という公器を使って国民に刷り込みを図った。これも国を売る行為である。
その上に、この投書を天皇誕生日に合わせて出してくるあざとさはいかばかりであろうか。