鼎(かなえ)の軽重

 我が社の次期戦略は、童話作家の「新美南吉」の売り出しである。しかし、宮澤賢治に比べると、まだまだマイナーだ。南吉の故郷、知多・三河の住民ですら、その存在を知る人は少ない。
 そこで社員研修の一環として、一昨日、新美南吉の研究者にお願いして1時間ほどの講義をしてもらった。内容は、新美南吉の作品と歴史のようなものの初歩の初歩をお願いした。
 ワシャはすでに『校定 新美南吉全集全14巻』を書棚に置いている。もちろん一通り目を通した。それに、赤座憲久『再考 新美南吉』(エフエー出版)、保阪重政『新美南吉を編む』(アリス館)、半田にある新美南吉記念館の『研究紀要』など関係類書も読んでいる。だから、高を括っていたのだが、やはり研究者の話はおもしろかった。ワシャにとっては、知っている事項が多かったが、それでもいくつかの研究者ならではの情報が入っていて、はっとさせられることが何度かあった。とくに、最近、南吉の教え子のお一人、それもかなり重要な証言者の方が亡くなっていたことを、この講義で知らされた時には、思わず声が出てしまった。ううむ、南吉の痕跡がどんどん消えていく。何とかしなければいけない。

 さて、その講義に関係部署の課長も何人か呼んでいた。今後、事業展開をする際に、協力をしてもらうためである。4人ほど技術系の課長が最前列に並んで、聴講してもらった。その内の3人が、講義が始まってまもなく舟を漕ぎ始めた。
 講義の内容は、解かりやすくおもしろかった。1時間はあっという間だった。にも関わらず3人の課長は寝てしまった。
 口を開いて気持ちよさそうに眠る3人を観察していて、この会社だいじょうぶだろうか、と悲しくなったのはワシャだけだろうか。

 昨日、午後から名古屋に出張をしていた。やはり新美南吉戦略の一環で、ある伝手をたどって、全国展開をしている某社の社長を紹介してもらうためだ。紹介者とともに本社を訪れ、大きな会議室で面会をしたのだが、どうだろう。年の頃なら40代半ばといったところか。その社長が、30代後半とおぼしき執行役員を2人引き連れて、入室してきて対座した。最先端を走る企業はうらやましいほど若い。
 1時間半ほど、お話をさせていただいた。まず、ワシャのほうから、今、考えている事業展開の方向性などについて。次に、某社がワシャの会社に対し、どのような支援ができるかを、社長自らが語ってくれた。その後、双方の話をベースにして、多岐にわたる事業分野での情報交換を行った。
 時間は短かったが、得るところの大きい会談であった。来月に再度、詰めた話をするために会う約束を取り付けて、社屋を辞したのだった。

 帰路、3人の真剣なまなざし、丁寧ではあるが核心をとらえ切り返してくる話し方など想い出し、前日の講義の居眠り3人組と比較すると、これは太刀打ちできないと、ため息を吐いたのだった。