以前に花巻へ行った折のこと。
花巻市役所の西を流れる大堰川のたもとに観光案内所があった。もちろん花巻は宮沢賢治の故郷なので、観光案内所は宮沢賢治の関連グッズで埋め尽くされている。そこで絵葉書や栞など数点を求めた。レジで支払いをするとき、店員の女性に「新美南吉って知っていますか?」と訊ねたものである。
「知りません」
聡明そうな女性だったが、東の賢治、西の南吉と並び称される童話作家の新美南吉を知らなかった。
「『ごんぎつね』とか『手袋を買いに』の南吉ですよ」
と、さらにつけ加えたが、女性は微笑んだだけで何も答えてくれない。
宮沢賢治の故郷でも、南吉の認識というのはこの程度なのか……と再認識させられたものである。
ネームバリューという点では南吉は賢治に大きく水を空けられている。やはり宮沢賢治の存在は大きい。しかし、存命中は南吉の方に軍配が挙がる。鈴木三重吉が刊行する「赤い鳥」に南吉は常連の作家だったが、賢治は載せてもらえなかった。単行本の出版も南吉は生きている間に何冊も出しているが、賢治の作品が世に出るのはその没後である。
ただその出方が凄まじかった。文圃堂書店、十字屋書店、日本読書組合、筑摩書房と、次から次へと全集が刊行された。併せて、戦後の国定教科書に「どんぐりと山猫」、「雨ニモマケズ」が掲載されて、大ブレイクをしたのである。
そのころ南吉はというと、出版は賢治に先行したものの、賢治ほどのブレイクはなく、郷土の童話作家という評価程度しかなかった。
その後、昭和40年代に入って、南吉の「ごんぎつね」や「手袋を買いに」が教科書掲載され、作品は多くの子供たちに知られることとなった
けれど、作家としての知名度は賢治との差がなかなか埋まらず、現在に至っている。
今朝の朝日新聞、ただし地方版なので、愛知県のそれも三河でしか読めないが、そこに「心つながる南吉音頭」という見出しが踊っている。
南吉の故郷は、愛知県半田市である。南吉はそこで生まれ、育ち、死んだ。しかし、南吉がもっとも輝いていた時期は、半田ではなかった。南吉が経済的にも精神的にも恵まれた状況で、作家としても充実していた時期を、愛知県安城市で過ごしている。
「青春時代を過ごしたまち」というキャッチフレーズで、安城市が売り出し始めた。その安城市の幼稚園で南吉おんどなるものが作られて、発表された。
http://www.katch.co.jp/community/katchtime/detail.html?id=811
この音頭に先んじて、「南吉たいそうハイハイハイ」も考案されている。
http://www.asahi.com/national/update/1002/NGY201210010050.html
JR安城駅前には、ウオールペイントと呼ばれている「南吉童話」や「南吉本人」の描画を、それこそ街中に描きまくっている。
http://ameblo.jp/aichi-bunka/entry-11404087907.html
南吉記念館を持つ半田市は、学術的に南吉を研究し、アカデミックに情報発信をしているのだが、何もない安城市は、やりたい放題の観があるのはワシャだけだろうか(笑)。