日曜日に遠足に行った

 先の日曜日は、前日の土曜日とうって変わって快晴になった。天気がよかったということばかりでもないのだが、ワシャの趣味の一環で、豊田・岡崎方面の史跡調査にでかけていたのである。なにしろ三河周辺には戦国期の史跡があちこちにあるからね。時おり、戦国の匂いを嗅いでおかないと、イマジネーション力が薄れてくるんですな。だから、土塁や掘割や曲輪(くるわ)を巡りながら、500年前に想いを馳せるのである。

 半日ほど、紅葉が盛りの丘陵をうろうろして、昼過ぎに町に下りてきた。朝食兼昼食は、城跡の杣道をうろつきながらコンビニおにぎりで済ませている。簡単なものですわ。
 その後、岡崎北部の幹線沿いにあるブックオフに立ち寄る。ここで、『管子』『韓非子』『荀子』など中国の古典を中心に30冊ほどの本を購入する。
ワシャは県内のブックオフについて、ほとんどを制覇している。それらを定期的に巡回しているのだが、時おり、いい本に巡り会う。たまさか、前々から探していた本が105円で売っていたりすると、「よっしゃぁ!」と声を上げてしまうほどうれしい。
 車の後部シートに本を満載して、上機嫌で帰路についたのだった。

 いい本を買った後というのは、渋滞や信号待ちが苦にならない。停まるたびに、本が読めるんですから。ワシャぐらい達人になると、八方目という少林寺拳法の技を使って、前方の景色を視野に入れながら、読書ができる。もちろん熟読などできませんが、本の目次を見て、必要な個所に付箋を打ったりすることなら充分にできてしまう。
 たまたま、前方の信号が赤になった。「しめしめ」とばかりに本を手に取ろうとすると、八方目の中に入ってきた信号の町名表示が引っ掛かった。
「本郷」……。「本郷」である。12月3日の日記
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20111203
に書いた、新美南吉が女学生と冬の遠足に出かけた岡崎市西本郷の蓮華寺の近くまで、いつの間にやら来ていたのだ。70年前と1日違ったが、そのくらいの誤差は大したことではない。早速、ワルシャワも、蓮華寺に冬の遠足としゃれこんだ。

 さて蓮華寺である。岡崎市西本郷町にあるということは先に書いている。由来によれば、神亀五年(728)に行基が開山したことになっている。本当かいなとも思うけれども、これがあながち出鱈目でもない。
 岡崎のこの辺りは、古代、鷲取郷(わしとりのごう)と呼ばれていた。すぐ西側には志貴荘という大きな荘園もあって、古の昔、このあたりに人口が集積していたことは確かである。とすれば、古い社寺があっても不思議ではない。現在でも地名に名残があって、蓮華寺付近は和志山と呼ばれている。
 それに、蓮華寺には、第12代の景行天皇の六男「五十狹城入彦皇子(いさぎいりひこのみこ)」の墓もある。簡単に言うと、日本武尊(やまとたける)の腹違いの弟だ。その人の墓があるというなら古刹と言っていい。
 そのあたりの史的な匂いを嗅いで、南吉もここを遠足の目的地に選んだのだろう。境内地の様子はこんな感じです。
http://www.aruku88.net/tera/501okazaki/rengezi-nishihongou/index.html
 岡崎と刈谷を結ぶ幹線道路から見ると、蓮華寺の杜が圃場の中に島のように浮かんで見える。そこに一本、藁を焼く煙が流れていた。味わいのある冬の景色である。