もう少し談志の咄

 立川談志の弟子の志らくが『立川流鎖国論』(梧桐書院)を上梓している。その中に《「談志長生き弟子全滅」説》という章がある。そこで読者に向けてこう言う。
立川流が消滅しても》と前置きをする。立川流消滅=談志の死だ。それを前提に志らくは続ける。
立川流が消滅しても、談志イズムを継承している落語家がいる間は安泰です。それぞれの落語の中に談志は生き続け、だれがその談志と同化していくのか。それを楽しみに落語を聴いてください。》
 そう言いながらも、希望的観測もしている。
《「……俺のうちは長生きの家系でね」
 とも言っていた。森繁久弥や森光子の例もあるから、二十年は元気な可能性もある。》
 残念ながら、志らくの希望的観測ははずれる。談志はそれからわずか1年、此岸にいただけで、身まかってしまう。
 常日頃、「落語家は、ぶざまな生きざまを見せる稼業」と言っていた談志だったが、その引き際は、松田勇作ばりに格好良かった。
「落語家が、その商売道具の声帯を切除できるわけがねえや」
 ちょうどこの本が出るころ、談志の声帯にガンの再発が認められた。声帯の切除手術以外に治る見込みはない。しかし、談志はこう言ってのけたのである。

 昨日、仕事帰りに本屋に寄って『談志が帰ってきた夜』(梧桐書院)を買ってきた。談志が8カ月にわたる療養生活を経て高座に復帰したその日のドキュメントDVDと、克明に書かれた闘病生活日記である。
 ワシャは今日も仕事だ。だから、この本を読んで観ている暇がない。また、今夜、一杯呑みながら、ゆっくりと鑑賞することにする。

 それでは、仕事に行ってきます。