岡田三郎助

 小学生のころ、切手収集が大ブームだった。切手を集めずんば人にあらず、というような雰囲気の中、大した思想を持ち合わせていないワシャも切手収集に奔走したものだ。もちろん麻疹のような一過性の趣味だったので、すぐにストックブックと未整理の切手の入った菓子箱は押入れの奥に片付けられた。
 その趣味が復活したのは33歳のときだった。比較的、のんびりとした職場から企画部門に異動した。これが滅法忙しい部署で、繁忙期になると月に130時間の残業は当たり前だのクラッカーという状況だった。
 家に帰るのは深夜で、それから本を読んだり、映画のビデオを鑑賞したりするのは、脳が疲れすぎていてできない。しかし、脳はついさっきまでの仕事で興奮して寝られないときたものだ。仕事人間はこうやってストレスを蓄積して倒れていくんだなぁ……と思ったものだ。
 ストレスを発散させるための趣味の読書や映画鑑賞ができないのだから困りましたぞ。後年なら土いじりに逃げられるのだが、まだこの時期には陶芸を始めていない。さあてどうする。いろいろ考えあぐねた末に思い出したのが「切手」だった。押入れの奥から20年ぶりくらいにストックブックと未整理切手の入った菓子箱を出してきて、「切手」の整理を始めたのだった。これが良かった。「切手」の整理をするのに頭は使わない。30分程、整理をすると頭のよどみが消えてスッキリするのだった。おかげでよく眠れるようになった。でもね、沢山あるといっても、小学生の集めた切手など多寡が知れている。すぐに2〜3日もあれば整理し尽くしてしまう。これは困った。また考えあぐねた末に思い当たったのが「切手カタログ」だった。「切手カタログ」の巻末には、切手商組合の住所録が載っていたはずだ。「整理する切手がなければ、購入すればいい」そう考えたのだった。
 ワシャは思い立ったら行動は早い。すぐに切手商に連絡して切手が10キロ入っている徳用箱を送ってもらった。大きな段ボールから切手の詰まったビニール袋を出すと、これがとんでもない量だった。6畳の和室が切手で埋まってしまった。
 そこから一枚一枚を選別していくのだ。「記念切手」「通常切手」「国宝シリーズ」「美術シリーズ」「年賀切手」……単純作業に没頭することがストレス解消になった。
 併せて、久々に切手を眺めることで、切手の持つ美しさ、情報量に驚かされた。これは収穫だった。
 小学校の時の切手収集は、万国博覧会の記念切手あたりで終わっていた。1970年である。それ以降に切手の大量発行時代があって、膨大な量の切手が市中に出回っている。郵政省が切手の人気にあやかってバカの一つ覚えで発行しまくったんでしょうね。大量に出回れば価値は下がる。切手収集という趣味がだんだんと色あせていくのも仕方あるまい。
 でもね、ストレス解消で切手の整理をするワシャにはそんな価値は必要ない。整理する種類が多ければ多いほどありがたい。新しい切手を見つけるたびに歓喜し、じっくりと鑑賞をする。これが楽しい。
 この時の一連の作業を通じて、広重や北斎の浮世絵をたくさん見たし、金剛峰寺の制多伽童子東大寺三月堂の執金剛神立像などの存在も知った。
 そうそう1979年から発行された「近代美術シリーズ」は勉強になった。青木繁安井曾太郎黒田清輝藤島武二鏑木清方前田青邨、岡田三郎助などは、切手で覚えたと言ってもいい。とくに岡田三郎助の「あやめの衣」は抜群だ。これです。
http://matome.naver.jp/odai/2127371346573588601/2127371461673625903
 髪を上げて襟足を見せている女性が、あやめの衣の肩袖をはらり落としている。う〜ん、色っぽいではあ〜りませんか。

 長々と書いてきたが、何を言いたいのかというと、実は今、三重県立美術館で「藤島武二・岡田三郎助 展」が開催されている。これに行きたいのだが、なかなか暇がない。
 もう一つ、今日、9月23日は、岡田三郎助の命日でもある。合掌。