安田から黒田へ

 小学校の頃に切手ブームがあった。もちろんワシャもその渦の中に巻き込まれていた。小遣いをはたいて切手を何枚も買い、ストックブックに収めたものである。でもね地元の有力者の倅なんかは、ジイサンバーサンの代からの切手を所有しているし、資金も潤沢であったせいか、ワシャらとは到底比べものにならないストックを持っていた。人生で、持てる者と持たざる者の差を初めて感じたのは、切手収集からかなぁ(笑)。
 とは言いながら、いろいろなことも学んだ。旧家のボンボンは「金に糸目をつけず集めるだけ集める」が集め方だった。しかしワシャはそんなわけにはいかない。月の小遣いが500円だったが、「見返り美人」が6500円もしたんですぞ。13カ月も飲まず食わずで、それを小さな切手1枚と交換するなんてできなかった。だから、枚数が少ない分、それぞれを調べる方向にに移っていった。これが結構役にたった。
 よく切手マニアが言っているが「切手は小さな美術品」ということである。昭和55年以降の切手、とくに「切手趣味週間」などは大判で、歌麿写楽などの美しい絵画が居並んだ。普通の小学生では、美品を手に入れるのは至難の技で、もっぱら消印の押されたものばかりだったけど、それでも眺めているとそれらがとても美しかったなぁ。そして誰の何が描かれているのかを調べているうちに、美術を学んでいったと言っていい。歌麿の「ビードロを吹く娘」とか、写楽の「市川えび蔵」なんて、小学校では学ばないでしょ。
 この「切手趣味週間」のラインナップに黒田清輝の「湖畔」が入ったのが1967年だった。「ビードロ」や「写楽」は楽に千数百円したものである。しかし、発行されたばかりの「湖畔」を切手屋で50円くらいだったと思うが、美品で購入した。これを手にしてしげしげと眺めたが、描かれている浴衣姿の女性を「綺麗だなぁ」と思ったことを想い出した。
 それから半世紀かい(驚)。土曜日の午後、東博の平成館でようやく現物にお目にかかった。黒田清輝「湖畔」である。いやぁ、相変わらずお美しい。もちろん「湖畔」はよかった。しかし、もっと鮮明だったのは、「昔語り」という消失してしまった作品の痕跡である。
http://www.tobunken.go.jp/kuroda/gallery/japanese/mukasi01.html
 上記はその下絵なのだが、完成作が焼失してしまっている以上、雰囲気を伝えるものはこれしか無くなってしまった。しかし、その絵の準備のための下絵は、部分から背景まで、それこそ何十枚と描かれている。それらの展示も今回はされており、画家が一枚の完成作を練るのにどれほどの手間と技術が費やされているかがわかるようになっている。
 ワシャなんかなんでも上っ面だけを舐めて、日過ぎ世過ぎをしている横着者だから、黒田清輝の水面下の足搔きを垣間見たことは衝撃だった。ただの薩摩閥系華族のお坊っちゃんではなかった。芸術家の凄味みたいなものを感じられたことはとてもよかった。