今も昔も大衆はバカだし、メディアはそのバカを煽ることばかりしている。進歩がないない。
日露戦争終盤、日本海海戦において東郷平八郎率いる連合艦隊は、ロシアバルチック艦隊に勝利を収める。この勝利に大衆は熱狂した。メディアは大衆に迎合するかたちで、ハルビンに進軍しろ、ウラジオストック占領だ、バイカル湖まで攻め込め、と威勢のいいことばかりを書き立てている。
ところが日本の置かれた状況はそんな楽観できるものではなかった。極東の貧国日本と欧州の大国ロシアでは、そもそも持っているポテンシャルが違う。日本は支那大陸と日本海で国を挙げての総力戦をやってきたが、ロシアにしてみれば一地方の局地戦でしかないのだ。日本国民は「勝った勝った」と騒いでいるけれど、ロシアにしてみれば1回の裏に得点を許したくらいの意識でしかない。
外務大臣の小村寿太郎がポーツマス講和条約会議に臨むため東京を発つ時に、詰めかけた市民たちは狂喜乱舞して小村を見送った。「講和をするなら樺太どころかシベリアまで割譲しろ」という勢いである。
しかし、日本の抱えている現実は違った。日本にはロシア戦を継続する力などなかったのである。日本のすべての力を投入して、203高地をなんとか落とし、奉天会戦に辛うじて勝ち、日本海にバルチック艦隊を背水の陣でようやく葬ったのである。1回表裏の攻防に全てを賭けたのだった。1回の結果だけで講和条約を有利に導く、これが全権大使の小村寿太郎に課せられた難題だった。
小村全権に対し下された訓令は以下である。
1、 朝鮮半島を日本の自由処分にまかすことをロシアに約諾させること。
2、 遼東半島の租借権およびハルビン・旅順間の鉄道を日本に譲渡させること。
3、 事情が許せば、軍費を賠償させること。樺太を割譲させること。
そもそもロシアはアメリカの顔を立てて講和条約のテーブルについている。しかし、その背後でファイティングポーズは取ったままだ。「いつでも2回以降のイニングに入ろうぜ」ロシアはそう言っている。だから、敗戦国が戦勝国に支払う軍費賠償など呑むつもりがない。交渉が決裂すれば再び戦争が始まり、戦費が底をついている日本は滅んでしまうかもしれない。小村はその状況を日本に伝え、御前会議において賠償金の放棄を認めさせた。そして決裂を避け、第二次日露戦争を回避し、その上、樺太の南半分まで割譲させたのである。見事な外交手腕だと思うが、事象に浮かれ騒ぐことしかできぬ大衆はそんなところまで耳目が及ばない。
ポーツマスに出発する前に、熱狂する市民をしり目に、随員の一人が小村にこう言った。
「あの万歳が帰朝の時に、馬鹿野郎の罵声くらいですめば結構でしょう」
日本国の舵取りをする賢明な者たちには先が見えていたのである。ポーツマスから帰朝した小村全権を待っていたのは、予測されたとおり、単純かつ激烈な攻撃ばかりだった。
「国民と軍隊は全く桂内閣及び小村全権に売られたり」
「小村全権を弔旗を以て迎えよ」
「小村の帰朝の日は市民一切門を閉じ彼に顔を背けよ」
以上は、当時の新聞の見出しである。相変わらず大衆を煽っているんだね。その後、興奮した世論が「日比谷焼打ち事件」へと発展していくのは必然と言っていい。この事件の引き金となる条約締結が、明治38年の今日のことである。