一澤帆布事件

 こんなニュースに目が留まった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110827-00000085-yom-soci
 一時期、テレビや週刊誌を賑わせたいわゆる「一澤帆布のお家騒動」に対して京都地裁の判決がでた。長男の敗訴となった。めでたし。
 ここでざっと「お家騒動」のあらましを紹介する。
 京都の老舗の鞄屋である一澤帆布の先代が2001年に亡くなる。当時、長男は大学を出て銀行員となり家業とまったく関わりを持たずに名古屋で暮らしていた。四男は一時期、一澤帆布に勤務していたが、1990年ごろに会社を辞めている。
 三男の信三郎さんは父(先代)とともに一澤帆布を経営し、2001年の当時、代表取締役だった。当然、父の最期を看取ったのも信三郎さんである。
 信三郎さん、葬儀も終わって、また、日常の鞄屋の暮らしに戻るものと思っていたら、とんでもないことが起きた。長男が2通目の遺言書を出してきたのだ。
 1通目の遺言書は和紙の巻紙に毛筆でしたためられ、もちろん実印が押され、一澤帆布の顧問弁護士が保管していたものである。この内容は、とくに信三郎さんに有利な内容ということでもなく、兄弟3人にバランスよく財産が分けられている。ただし、鞄屋だけは、後継者の信三郎さんが継ぐというもので、まったく関係のないワシャが見ても、まずまずバランスのとれた遺言書だと思う。
 これに対して長男が出してきた遺言書は、事務用の便箋にボールペン書き、印鑑も「一沢」という三文判である。これだけでも怪しいでしょ。そしてその内容は、一澤帆布の株式の五分の四を長男、五分の一を四男が相続するというもので、経営権を信三郎さんからはく奪するものだった。
 こんなことを一緒に鞄づくりをしてきた先代がするのだろうか。信三郎さんも従業員も皆が疑問を持った。
 信三郎さんは、2通目の遺言書を無効とする訴訟を起こしたが、2004年最高裁で有効とされてしまう。その後、長男、四男が一澤帆布のビルに乗り込んできて、信三郎さんは追い出されることになる。しかし、ここがうれしいじゃありませんか。70人の従業員が信三郎さんとともに「一澤帆布」を全員出て行ったんですから。
 その後、長男と四男が継いだ「一澤帆布」は潰れる。素人が欲だけでものづくりをしようったって無理なのだ。
 信三郎さんは、元の従業員ともども、「一澤信三郎帆布」を立ち上げて、いい鞄を作り続けている。
 長男は、「一澤帆布」を潰しても諦めきれず、また、遺言書は本物だとする訴訟を起こしたが、やっぱり「偽物」とされた。冒頭のニュースはそれを報じたものである。しかし、この長男も大したタマだね。一度は「一澤帆布」を乗っ取ったのだ。それを潰してしまって、まだ訴訟を続けるとは、執念としかいいようがない。