紳助の後

 一昨日の日記で、島田紳助の引退のことを書いた。その際に「紳助」とするところを「紳介」と記載している。もちろん誤記であるので訂正します。でもね、ワシャの中では「紳助」でも「紳介」でもどっちでもいい。
 そもそも芸人やタレントが居並んで、楽屋ネタでワイワイ盛り上がる一連の番組が嫌いだ。だから紳助の出ていた番組が続こうが、中止になろうが一向に気にならない。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110825-00000002-jct-ent
 このあいだも触れたが、ポスト紳助の中に千原ジュニアの名前が挙がっている。雰囲気、面差しが紳助に似ているからだそうだが、どうしてこういった雰囲気の凶相の男を持ってくるのだろう。
 ワシャはちょっとばかり人相を見る。でもね、千原ジュニアを悪相だけで嫌っているわけではない。例えば大滝秀治さん、比べるのもおこがましいが、相は悪くとも内面からにじんでくる人柄、教養を感じさせる人もいる。基本的にはそういったものも加味しながら人相を見るのだが、千原ジュニアには人柄、教養が見えない。ただ貪欲な上昇志向、人を出し抜いてやろうというずる賢さ、悪相の上にそういったものばかりがにじみ出ているから嫌なのである。
 タレントの大沢あかねが無名だったころ、何かのロケでやはり駆け出しの千原ジュニアと一緒になったそうだ。その時に新人だった大沢は年長者である千原ジュニアに挨拶をした。しかし、千原ジュニアは挨拶を返さず無視をしたという。このエピソードを聴いて、「さもありなん」と思った。
 悪相の紳助から、凶相の千原ジュニアへ、まぁどんな顔のタレントが司会をしようと構わない。どちらにしても、うるさいばかりで得るもののないバラエティ番組など見ないから。そんな時間があれば本を読む。映画を観る。落語を聴く。

 かつて昭和のジャーナリスト大宅壮一がこう言っている。
「ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億総白痴化』運動が展開されていると言って好い」
「大衆の喜びそうなものには何にでも食いついてゆく。そこに価値判断というものがない。量があって質がない」

 バラエティの寵児だった島田紳助の退場を機にもう一度「テレビ」という害毒について考えてみないか。