立川(24日目)

 午前3時30分起床。
 昨日はフロアで最後のお別れ会のようなものを開催した。もちろん仕切りはワルシャワ本舗である。寿司のデリバリをとって、その他の食料は近所のコンビニへ買出しに行く。酒、ビールは国許から山のように送ってきている。だから1人頭千円も出すと、けっこう豪華なパーティになるんですね。
 午後6時に始めて、7時半には盛り上がっている仲間にあとを任せて部屋に退散。そこから荷物の梱包やゴミの片付けをしていたら9時を回っている。コンビニで買ってきた週刊誌をベッドで読んでいたらいつの間にか寝てしまった。覚醒してみれば未明になっていたというわけである。
 お別れ会では、大して呑んでいないので調子がいい。低カロリーでリコピンたっぷりのカゴメトマトジュースをクーッと一気に飲み干す。最近の朝はトマトから始まる。まだ明けていませんが……。机に座ってレポートの最終点検をしながら夜明けを待つ。
 午前4時30分、白々と明るくなっていく。ワシャは短パンにポロシャツという出で立ちに着替えると、久しぶりの散歩をするために寮をあとにするのだった。何度も書くが、立川の北のエリアは1970年の大阪万博の会場にいるような錯覚に陥る。広いスペースに近代的なビルが立ち並び、その間を空中高くモノレールが行く。違いは、立川のほうが街に多くの時間が過ぎているので緑が深いくらいか。
 その緑の木立の中を散策する。早朝の森林浴は気持ちいい。30分ほどで散歩を切り上げて、コンビニに寄って朝食のパンと飲み物を買う。寮に戻って、朝食をとりながらキーボードを叩いているという状況です。

 栗原敏雄『勲章』(岩波新書)を読んだので、少し勲章について考えたい。もちろん庶民であるワシャにはまったく関係のない代物で、褒章などというものとはトンと縁がない。最後に賞状をもらったのは……あ、ジャーナリストの日垣隆さんのセミナーでコラムを書いて「良かったで賞」をもらったのが最後だ。
 だから今から書くことがもらえないひがみだと思われるのは心外なので、あらかじめ言っておきますね。
 さて「勲章」である。泣いても笑っても「勲章」である。この「勲章」、実に官民格差が大きい。2003年秋〜2010年秋までの平均で、官公が6割を占めている。昨日、書いた守旧派の官僚など、この「勲章」が欲しくてたまらないだろう。なにしろ、省益と保身ばかりを考えて仕事をしてきたから、人から認められるものなどありはしない。でも、「オレの人生は世のため人のためになった」と思い込みたい。それゆえの「勲章」なのである。だから官が圧倒的に多い。「勲章」は、国のために何もしてこなかった腑抜けどもへの最期の「免罪符」なのである。だから、政治家や関係団体に手を回して「勲章くれくれくれくれ!」と血道を挙げるわけだ。

 もちろん勲章は陛下から賜るものであるから、それ自体の価値は高い。しかし、少しでも高位の「勲章」をもらうためにせっせと運動する輩は卑しい。
 本の中にあった、勲章をもらわなかった2人を紹介したい。まず、杉村春子である。
「大変名誉なことで文化勲章の重みもわかっているが、芝居の仕事を続けている最中であり、大きすぎる勲章を頂くと、いつも首にかかっているようで、この先、芝居を続けていくことができなくなるかもしれない」
 と、弁明し受章を辞退した。う〜ん、潔い。
 ワシャは多分こう思う。杉村さんは女優だった。例えば文化勲章を華々しく受章したとする。そのことはテレビや新聞で大きく報道されて、大衆の間に「杉村春子文化勲章」というイメージが定着してしまう。そのことを恐れたのではないか。町医者の母を演じていても、観客のイメージには「文化勲章」が引っ掛かるのではないか。舞台芸術を極めようとする達人には少し邪魔だったのかもしれない。
 彫刻家の佐藤忠良も見事だ。国から文化功労者の打診があった際に、「職人に勲章は要りませんから」と一蹴したという。バックボーンとして過去の重い経験もあるのかもしれないが、勲章に血眼になっている官僚や政治家の恥も外聞もない姿を目の当たりにすると、佐藤さんの行為がとても爽やかに感じる。