卑怯者たちのララバイ(23日目)

 古賀茂明『官僚の責任』(PHP新書)のあとがきのあとがきにこんなことが書かれている。
《私は経産省の松永和夫事務次官がら正式に退職勧奨の通告を受けた。》
 要は、「辞職届けを出して、さっさと辞めろ」と言われたわけだ。通告を受けたのが2011年6月24日、退職期日は7月15日と書いてある。すでに過ぎている。ネットで調べてみると、古賀さんは、事務次官の姑息な要請をはねつけた。さぞかし守旧派の松永事務次官、お困りのことだろう。
 
 それにしても古賀さん、守旧派の官僚に辛らつだ。
《官僚は決して優秀ではないし、必ずしも国民のことなど考えて仕事をしていないのだ。たとえ官僚になるまでは優秀だったとしても、いつの間にか「国民のために働く」という本分を忘れ、省益の追及にうつつを抜かす典型的な「役人」に堕していく。》
 今回の国難に際して、官僚どもが徹夜でやっていたことは被災地支援のための仕事かというと違う。
《実際に霞ヶ関の官僚たちが、それこそ夜を徹して取り組んでいたのは、一所懸命、大臣のための想定問答集をつくることだった。》
 バカ!
《はっきり言う。日本の官僚は優秀でも公正でもない。(中略)専門知識に乏しく、したがって判断も決断もできず、自分では絶対に責任をとろうとしない、たんなる素人集団》であることが、今回の東日本大震災で図らずも露呈した。
 古賀さんは、公務員制度改革に着手したのは安倍内閣だったと言う。しかし、官僚守旧派に手なずけられている森喜朗ら自民守旧派が安倍さんを引きずり降ろしてしまった。その後に出てきたのが、守旧派守旧派福田康夫である。
安倍内閣のあとを襲った福田康夫内閣は――予想されていたことではあるが――改革には消極的だった。それどころか、むしろ官僚を擁護する立場をとり、渡辺大臣の改革案に抵抗したという。》
 そして守旧派官僚に操られた森喜朗に操られた福田首相は、渡辺大臣を更迭してしまう。渡辺大臣の下で辣腕を振るっていたのが、誰あろう古賀さんである。古賀さんの最大の庇護者であった渡辺大臣がいなくなると、今まで小さくなっていた官僚が蠕動しはじめる。
《すぐさま上層部以下、守旧派の激しい攻撃が始まった。政策論争ならまだしも、彼らの攻撃はたんなる誹謗中傷だった。》
 守旧派官僚には、恥も外聞もないらしい。
 古賀さんは指摘する。「霞ヶ関が壮大な互助会」なのだと。古賀さんのような改革派は、ひそひそと税金で生涯を食いつないで生きたい守旧派官僚には邪魔で邪魔でしかたがない。そりゃあそうでしょ。現役でしこたま稼いで、退職金をもらって、天下り、渡りで、外郭団体や東電のような利権談合企業にまでもぐりこむ。そこから守旧派官僚OBに支払われるのも税金である。
 そう言われて、立川の北のエリアを眺めてみると、おや?と思わせるものがたくさんありますぞ。
 国立国語研究所国立極地研究所国文学研究資料館統計数理研究所、花とみどりセンター、海上保安試験研究センター……なんだかよく解らないが、立派な建物が立ち並んでいる。こういったところにも官僚OBたちが忍び込んで、ひそひそと税金を喰っているんでしょうね。
 ここまで書いてきて、こういうのも何なのだが、ワシャは古賀さんの言っていることを全面的に信用しているわけではない。古賀さんの考え方としては、こうなのだろう、程度で読んでいる。
できれば古賀さんと対立している守旧派官僚で「声」を挙げてくれる骨のある人物はいないか。是非、「違うんだ、古賀」という本音を聞きたい。例えば、古賀さんの首を切ろうとしている松永事務次官が出てきてきっちりと説明すればいいのに。
 でも、守旧派の官僚たちは絶対に声を出さないだろう。それが己たちの利益にならないからだ。遠からず古賀さんを切り捨てて、当分の間、神妙な顔をして嵐の過ぎ去るのを待つ。世論がおさまるのを見きわめて、また巣穴から這い出してきて、税金という餌をひそひそと喰らうんだろう。声を出せよ卑怯者。
 
 霞ヶ関のトップ官僚に共通する性格があるという。それはクソ真面目であるということ、そして上昇志向が強いこと、そして人間的な魅力が欠乏していることである。なぜ、みんなそうなってしまうのか。それは彼らの経歴を見れば一目瞭然だ。
 大学は東京大学法学部、これはそこが「日本でもっとも難関だから」という理由に過ぎない。そんな彼らが就職先にどこを選ぶか?それは「合格するのが一番困難な就職先」である官僚を選ぶ。そして「官僚になって何がしたいか」と訊けば、もちろん彼らは「日本をよくしたい」などと言わない。口をそろえて「事務次官になりたい」という。
 こんなことを言うやつは、かなり重度のバカと言っていい。そして、そんなバカにこの国の転轍機は握られている。