スポーツ大国の貧弱さ(14日目)

 小学校の時に、テレビドラマ「柔道一直線」に憧れて柔道の道場に入門した。中学生の時「飛び出せ青春」の影響でサッカーを始めた。高校生になって「燃えよドラゴン」に感化され少林寺拳法の門をくぐった。大学生になって、スキー、ウインドサーフィン、自転車……いろいろやったけれど、どれもものになったためしはなく、趣味の域を脱するものではない。そう簡単には一人前にはなれないのだ。
 だから、アスリートと呼ばれる超越した人たちの凄さというのは理解している。イチロー、松井とまではいかなくとも、各球団の二軍の選手でさえ常人を逸した力量を有している。
 それは、どのスポーツにしても同様で、オリンピックやワールドカップに出ていくクラスの実力たるや尋常なものではない。

 2001年のユニバーシアードにおいて体操で2冠をとったスーパーアスリートが、北京の繁華街の王府井で物乞いをしているという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110716-00000012-scn-cn
 支那中国の国威発揚の一環で国策としてスポーツを育成している。そこに人間性など欠片も介入する余地はない。全国から運動神経のいい子供を集め、篩(ふるい)にかけて選りすぐりのものに英才教育を施していく。
 体操選手の張尚武もユニバで金メダルを2つ得ているところからして、頂点を構成するメンバーの一人だったに違いない。しかし、故障をすればたちまち篩の目からこぼれていった。その末路が物乞いということだ。
 張尚武はそれでも金メダルを2つ手にしている。スポーツを志したものとして、とにかく頂点を極めたのだからそれはそれで可とすべきだろう。むしろ悲劇は、その支那中国スポーツピラミッドの底辺を構成する無数の子供たちである。

《3、4歳ごろから、家庭から離されて集団生活の中で厳しい練習が課せられ、本物の才能を得るために振るいにかけてゆく方式で、練習を優先させるために基礎学力に問題があり、また、幼少期から闘争心を煽って競争させてゆく教育法によってモラルや公共性を欠く人も多いという。このため途中で怪我や成績不良で脱落、あるいは中途引退した後のスポーツ選手は普通の就職や企業は難しく、困窮生活に追い込まれることは少なくないようだ。》

 練習練習の明け暮れで、まともな教育すら施さず、壊れればお払い箱……国威発揚という大義の名のもとに行われている。これが人権侵害以外のなにものか。数多くの子供たちを犠牲にして、国のメンツにのみこだわる。
 嗚呼、彼の国の悲しさよ。