五輪閉会式

 張芸謀監督の手による何だかよくわからない閉会式が終わって、息苦しいオリンピックの幕が閉じられた。
 それにしても閉会式に大挙して押し寄せた選手たちの弛緩しきった表情はどうだろう。カメラに向かってやたら投げキッスをする欧米選手、メダルを誇示する漢族選手、やたら携帯を掛け捲っている日本人選手……
 ワシャは、一人くらい「雪山獅子旗」をポケットから出してカメラにかざすのではないか、あるいは選手のユニホームのどこかに「FREE TIBET」と書かれていないか凝視をしたが、そんな気概のあるアスリートはいなかった。トップアスリートというのは、スポーツで金を稼ぐ人でしかなかった。
 スポーツジャーナリストの二宮清純は言う。
五輪憲章に明らかに反する行為を開催国が行ってもなお、アスリートは政治的パフォーマンスを封印すべきなのか。そしてスポーツに政治を持ち込むべきではないと、ただ傍観するだけで良いのか」
北京五輪の参加者が何事もなかったかのように振る舞えば、チベット弾圧による人権侵害を黙認することになる。それこそが五輪憲章への背反といえよう」
 二宮は開会式前に、アスリートたちの造反を願っていた。しかし、現実は冒頭に書いたような体たらくである。
 1968年のメキシコ五輪200mで金メダルを取ったトミー・スミスは、黒手袋の拳を突き上げて黒人差別に抗議した。その後、五輪をはじめとしてほとんどのスポーツ大会から彼は追放されてしまった。それでも彼は、人権を守るために敢えて苦難の道を選択したのだ。
 40年が過ぎ、今では彼のメキシコでの行いは高い評価を受けている。彼の人権に対する気概を万人が評価している。誰か「FREE TIBET」を示す気概のあるヤツはいないのか。メダルを剥奪されたっていいじゃないか。君がメダルを取ったことは世界が知っている。公式記録から抹消されようが、それにも増して、迫害されるチベット民族に強いエールを送ったという記憶の勲章が未来永劫に語り伝えられるのである。ワシャが北島康介なら絶対にそうした。だって、そのほうが歴史に名を残せるもの。