読書会

 昨日、読書会。課題図書は『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(中公文庫)。
 この本は評判がよかった。一章のそれぞれの「失敗事例」もさることながら、二章の「失敗の本質」、三章の「失敗の教訓」の中のフレーズを指し示す人が多かった。
 例えば、「不均衡の創造」という項にこんな文章がある。
《適応力のある組織は、環境を利用してたえず組織内に変異、緊張、危機感を発生させている。あるいはこの原則を、組織は進化するためには、それ自体をたえず不均衡状態にしておかなければならない》と前置きをして、こう言っている。
《日本軍は、逆説的であるが、きわめて安定的な組織ではなかろうか。(中略)彼ら(陸海軍人:筆者注)は思索せず、読書せず、上級者になるに従って反駁する人もなく、批判を受ける機会もなく、式場のご神体となり、権威の偶像となって音質の裡に保護された。》
 また、こうも言う。
日本海軍はきわめて洗練された人事評価システムをつくり上げたが、学歴主義を否定することはできなかった。既述のように、海軍兵学校の卒業席次は、兵学全て理数系の実額であったから、理数系に強い学校秀才型の学生が有利であった。しかしながら、予測のつかない不測事態が発生した場合に、とっさの臨機応変の対応ができる人物は、定型的知識の記憶に優れる学校秀才からは生まれにくい》
 確かに、大東亜戦争に突入する際、現場叩き上げの山本五十六のような将軍は少なく、小才を誇る学歴将軍が幅を利かせたために、大敗北を喫したわけだ。

 2時間ほど、日本軍の失敗の本質について侃侃諤諤の議論を繰り広げた。そして、終盤に差し掛かり、読書会のメンバーはあることに気付いていった。それは、70年前の失敗のすべてが、現在の福島第一原発の状況の中に入っているということにである。
 なんと日本人は先の大戦でなにも学んでいなかったのか。
 東京電力をはじめ各電力会社は「脱原発」を否定した。
根拠のない楽観主義、安全性よりも利益優先、合理性以外のところから導き出された決断と、その決断に辻褄を合わせるためのごまかしと隠ぺい……今、日本人の置かれた状況が、満足な兵站すら確保できずに白骨街道をインパールに駆り立てられる日本兵の影と重なってしようがない。

 冬期、敦賀湾でM7級の直下型地震が発生したとしよう。それに「もんじゅ」が耐えられると誰が保証するのか。「美浜原発」「敦賀原発」が無事で済むと誰が断言できるか。そこで何らかの事故が発生し、放射性物質が舞い上がれば、強い北西の風(これを東海地方では伊吹颪という)に乗って濃尾平野に到達する。その距離、わずかに60キロである。

 終盤、読書会のメンバーは言葉少なになっていった。