ゴミ屋敷

 だらしない隣人の傍若無人が許容範囲を超えた結果の悲劇だった。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121010-OYT1T00849.htm
 もと警視の容疑者は、頑固親父ったかもしれないが近所の人からは好意を持たれていた。頼もしい長老だったろう。
 それに比べ、玄関先にゴミを積み上げ、道路に植木をはみ出し、近隣の迷惑も顧みず猫に餌付けをする……こんな隣人はごめんだ。お隣さんの静かな秩序を破壊する新参者、これは頑固親父に叱られてもしかたがない。昭和でも30〜40年代であれば、長老に叱られただらしない住民は、こそこそとゴミを片づけたものだ。
 それが人権だの個人の自由を声高に叫ぶ者どもの悪影響で、だらしない連中が跋扈している。長老の言うことを「個人の自由でしょ!」と反撃するようになった。
 郷に入ったら郷に従え、それぞれのコミュニティにはそれぞれのルールがある。円滑な近所づきあいをするために、最低限の受忍は必要なのだ、ということをだらしない住人はあっさりと無視をするようになった。その結果が世田谷の悲劇と言っていい。
 あちこちに散見するゴミ屋敷は、辛抱強いご近所を泣かせながら己のわがままを押し通している。悪臭や道にあふれるゴミに悩んでいる普通の人たちは、徳永さんの登場を願っているのではないか。

 そしてようやく行政が動き始めた。
http://mainichi.jp/select/news/20121025k0000m040030000c.html
 ゴミを溜めこんで、ゴミを溢れさせ、悪臭を放つゴミ屋敷の住人に、権利というものがあるのだろうか。ゴミ集めに権利があるとするなら、その周囲で悪臭に苦しんでいる住民の権利はないことになる。そんなものゴミの所有者がなにを喚こうが、行政がさっさと撤去すればよろしい。ゴミはゴミだ。資源だと主張するかもしれないが、資源なら活用すべきだし、活用できずに他者に迷惑をかけるものは資源と言わず「ゴミ」と言う。そんなことも知らないバカに遠慮することはないわさ。