朝から泣いたり祈ったり

 実は早朝から書斎(物置ともいう)で泣いている。
 先日、久しぶりに飛行機に乗ったことを書いた。ワシャは心底飛行機という交通手段が嫌いで、よほどのことがない限り乗りたくない。でも、「東北大震災の被災地へ行く」というモチーブには抗しがたく、『般若心経 金剛般若経』(岩波文書)とともにフライトに臨んだ。ともかく無事に生還できたのでホッとしている。大げさでしょ(笑)。

 久しぶりに飛行機に乗ったことで、あの事故のことを思いだした。昭和60年8月12日に起きた「日航ジャンボ機墜落事故」である。書庫の中から、山崎豊子沈まぬ太陽』(新潮社)を引っ張り出してきて再読していて思わず泣いてしまった。

 父親の遺体を確認するために、大学4年の息子が御巣鷹山のふもとにある藤岡第一小学校の体育館に出向いた。年齢もあるのだが、父親に反抗ばかりしていた息子である。でも、就職が決まって数日前に父親にネクタイの結び方を教わったばかりだった。その父が無残な姿で棺に納まっている。着衣や所持品で父親であることは明白なのだが、それがほんとうに父かどうかは遺体を包む白布をとらなければならない。躊躇していると立ち会っている警察官が、
「申し上げにくいことですが、ご遺体の損傷が激しくそうとうにひどい状態ですので、できればご覧にならないほうがいいのではないでしょうか」
 と進言してくれた。棺に遺体とともにおさめられているビニール袋に入ったスーツはまぎれもない父のものだった。それで父親を確定し、その後、遺品の並べられている部屋に戻る。そこに並べられた父親の手帳を手に取りパラパラとめくっていると、乱雑に書きなぐったような字が現れた。息子にむけた父親の遺書だった。
「かあさんとねえさんのことをしっかりとたのんだぞ」
 ここで不覚にも泣いてしまったんですね。

 その後、『昭和二万日の全記録』(講談社)を引きずり出してきて、「日航ジャンボ機墜落」の関連のページを開いている。そこには、多分、この事故でもっとも有名な写真が大きく乗っている。当時中学生だった少女を自衛隊員が抱きかかえて、V−107ヘリのカーゴ・ドックに細いロープで今まさに引き上げられようとしている絵である。この時、自衛隊員は歯を食いしばって必死の形相で上のカーゴ・ドックを見上げている。
この部分を『沈まぬ太陽』から引く。
《ぐったりしている少女が空中で揺れないように、佐久間二曹が両腕で上体を抱き、下肢を自分の太股の間にしっかり挟んで、ロープに身を委ねた。少女の体が重いとも、軽いとも思わなかった。ただこの少女を落とさないという一念であったが、ふと上を見ると一メートル四方のカーゴ・ドック(貨物搬入口)に、少女を抱えたまま入れるか、不安を覚えた。万一、入れないような場合は、二時間でも、三時間でも、安全な地点へ着くまで、この少女を絶対、落とさず、抱きかかえて行こうと、心に決めた。》

 この事故での尊い犠牲の上に、我々の乗る航空機の安全が守られている。新聞を取りに出た庭先で、東の空にむかって深々と頭を垂れるのだった。
 たまたま通りかかった朝散歩のオバサンがワシャを見てギョッとしていたが、そんなことはどうでもいいのだ。
「黙祷」