あちこちで八甲田山の彷徨

 新田次郎の名作『八甲田山死の彷徨』はご存知ですよね。
1977年には映画にもなっている。主人公は弘前第31連隊の徳島大尉(高倉健)と、青森第5連隊の神田大尉(北大路欣也)の二人で、それぞれが弘前と青森から出発して、雪の八甲田を行軍して連隊に帰還するという軍事演習を敢行する。
 総員38名の少数精鋭で臨んだ徳島大尉は辛うじて雪中行軍に成功を収めるが、総勢219名で地獄の八甲田に突っ込んだ神田大尉の部隊はほぼ全滅した。これは、神田大尉が徳島大尉に劣っていたからと決めつけるのは少々酷であろう。
 弘前連隊では、早々に「いっさいを徳島大尉にまかせることにしよう」と連隊長が決定を下した。そのことに異を唱える将校もあったが、連隊長は一切の口出しを許さなかった。このために徳島大尉は自分の思い描いたとおりの編成をすることができ、万全の態勢で八甲田に臨むことができた。
 片や、神田大尉である。本来、この雪中行軍は中隊長の指揮下で行われる。つまり弘前連隊では徳島中隊長であり、青森連隊では神田大尉である。上記のとおり、弘前連隊では徳島大尉に全権を集中し、すべての判断を中隊長ができるように上司が取り計らった。ところが青森連隊では、神田大尉の指揮すべき雪中行軍中隊に、ご丁寧にも大隊本部員9名を随行させてしまったのだ。
 これがいけない。
 卑近の例を示そう。西三河衣浦東部にある会社の話だ。
その会社には関連会社が5社あった。その会社それぞれに開発部門があって、独立してその地域を管轄している。その5社がある事業で共同歩調をとろうということになって5社がそれぞれ社内でプロジェクトチームを立ち上げて調整を進めていた。最終段階に入って、期日を決めてプレス発表をすることになっていた。
 ところがA社だけがプレス発表に遅れてしまった。なぜか。ことは迅速を要していたにも関わらずである。
 それにはこんな背景があった。
 A社のプロジェクトリーダーが取締役に呼ばれた。そこでプレス発表に待ったがかかってしまったのだ。
「なんでそんなに慌てなければならないのか?」
「すでに、他社はプレス発表の準備に入っています」
「まだ社内調整が済んでいないじゃない」
「社長の了解は取り付けてあります」
社外取締役会に相談したの?」
「議長にはその旨の報告をしたいと思います」
「う〜ん、僕としては納得がいかないねぇ」
 A社以外の4社はプロジェクトリーダーに全権を委任していた。もちろんA社もそうだったはずなのだが、一人の上司の介入によってプロジェクトそのものを壊してしまういい例となった。
 八甲田で199人の犠牲者を出した神田大尉も同様だった。自分の中隊に命令を下そうにも一々上司である山田少佐に伺いを立てなければならない状況に置かれたのである。これは緊急を要する現場では致命的と言っていい。その上に、状況を知らぬ上司が、前例とか筋を通しはじめると、よほど鉄壁な計画でない限り、壊れるのが当たり前だ。
 A社が、他社に遅れたくらいの話はどうでもいい。しかし、こういった全権をどこに与えてものごとを動かすのかは、常に明確にしておかなければならないと思う。